館下神楽「敦盛、直実合戦の場」@第58回宮城岩手選抜神楽大会
さて本日は、第58回宮城岩手選抜神楽大会から館下神楽で敦盛、直実合戦の場です。
その前に館下神楽さんの由来について
「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、二代目は曽根英寿である。」
保持する演目で代表的なのは御所の五郎丸陣屋巡りの場、法童丸庭園の場、安倍保名一代記 等となっています。
現在の代表者は柳澤良夫さんです。
頃は元禄元年辰の年、如月七日の早朝、義経はひよどり越えを逆落し、平家の堅城福原成を攻め落としたのであります。
源氏方の武者、日の本一の旗頭、熊谷次郎直実丹治直実は、鎌倉殿の仰せにより平家の落ち武者探しに出向くのであります。
一方、一の谷を追われ四国屋島に落ちてゆく平家軍。
平家の若式者 平敦盛 花の十六歳。
中納言平常盛が二男、無冠の太夫 平教盛は戦いに敗れ、妻玉織の袖を振り払い、四国屋島に向かう途中、先祖代々伝わる家宝の春物と青葉の笛を忘れたことに気づき、取りに戻ります。その間に、味方はすでに船に乗り海上はるかに漕ぎ出していました。
味方の船に追いつくべく海上に駒を進めた時、源氏方の武将、熊谷次郎丹治直実に見つかり戦いになります。
太刀のうえではなかなか勝負が着かないため、組んでの勝負で決着をつけようとしたのです。
互いに力を尽くして戦うも、当年とって十六歳の若武者教盛は、ついに熊谷に組み伏されてしまいます。
熊谷が首をはねんとよく見ると、花のような美少年でありました。よく聞くと、自らも仕えたことのある、平経盛公の二男、敦盛と聞き、首を刎ねるか逃すか悩みいります。
直実は我が子小次郎直家と年回りも同じと不憫に思い、敦盛を助け逃してやることにします。
動画でどうぞ
