門中組虎舞 @ 第22回上郷まつり
さて本日は第22回上郷まつりから招待芸能での出演で、門中組虎舞です。
遠野でお目にかかれるとは思いませんでした。上郷まつりでは毎年遠野市外から様々な民俗芸能団体を招待しているということでしたので、今年は大船渡市からということだったのでしょう。
由来については「全国虎舞考」(佐藤敏彦 著作)より参照
1190年、約七百年前、鎌倉幕府北条時頼の時代、一隻の船が末崎の泊里浜に神輿、祭器、御体等を満載して漂着したという。
地元民が、船荷等を建立した社に祭った。
祭神は、伊奘諾尊、早玉男神、事解男神の三神に分類し、これが泊里熊野神社であるといわれる。
その宝物の中に獅子頭かおり、祭日に氏子等がこの獅子頭を型どり祭典に舞を奉じ、防災、五穀豊穣、大漁祈願となったのが虎舞の口伝である。
門中組は、末崎町門ノ浜、中井の集落の氏子達によって演じられ、両地区の地名を合わせて門中組虎舞と呼称している。
大船渡市末崎町泊里の熊野神社の祭礼の、正月14日と9月14日、同社境内や碁石海岸まつりの4月29日の出演などがある。
この虎舞の振付は、明治時代、佐々本寅五郎が編み出したもので、地踊り、腰踊り、首踊りの三つに大別される。地踊りは虎が獲物を求めて突進する芸態であり、小高い丘にさしかかり遥か遠くに獲物を発見し、憤然として眸睨しする芸態で、また、怒り狂った虎が岩山に突立ち狂乱する芸態が首踊りといわれる。
虎舞の虎頭は、獅子頭に近く朱塗りで、熊野神社の獅子頭による悪疫払いと、豊作・大漁祈願の舞が、明治初年に芸態が虎舞に転化したもの。
扮装、装束、囃子は権現様と同質で幣を飾ってあるが、虎の紋様は即ち彪は他の虎舞とは異なる笹をあしらった紋様が注目される。
前掛けに芳印の才坊振り、虎舞は腰のり、首のり、地踊り、太鼓、笛で演目によって曲芸的芸態が素晴らしい。構成は、一組から三組まで群舞となるのが圧巻である。
昭和44年4月1日、大船渡市指定無形民俗文化財として指定された。
とある。
この泊里浜に都の船が漂着し獅子頭を村の社に奉持したという話は広田半島周辺の獅子舞に共通して伝承されている。
もとは皆同じ所から発祥したものと思われるが、後年伝承される過程で集落ごとに種々の工夫をこらして異なった芸態となったのではなかろうか。
先の東日本大震災では、高台にあった伝承館にも津波が押し寄せシャッターが破壊されたが、太鼓と頭は流されずに留まったため、真水で洗って仕えるようになった。しかし装束はそれぞれの会員が自宅で保管していたため失ってしまったのこと。
しかし、いち早く活動を再開して地域を元気づける活動を続けてきた。
幾度の大災害に見舞われながら、不撓不屈の精神で守られてきた貴重な郷土芸能である。
門中組の得意技は、幌の中の踊り手がもう一人の肩や腰に乗る「腰のり」と「首のり」といった曲芸的な踊りです。
地元の中森熊野神社式年祭は次回は2020年の予定でしょうか。オリンピックイヤーの10月です。見に行きたいですね。
動画でどうぞ
