沢辺神楽 金売吉次薬師詣りの場 @ 第41回みちのく神楽大会
さて本日は第41回みちのく神楽大会から沢辺神楽さんで金売吉次薬師詣りの場です。
その前に沢辺神楽さんの由来を「栗原伝統伝承芸能記録保存」より抜粋
「昭和49年11月、沢辺地区と姉歯地区の有志6人が集まって斎藤憲雄が庭元となり、城生野神楽の熊谷勤師匠を講師として迎え、黒沢流南部神楽を習得した。
昭和53年に栗駒文字駒堂神楽の師匠菅原金雄氏に師事し山谷流の鶏舞を習得した。」
ということなそうです。現在の代表は佐藤忠一さんです。
さて演目は、後に藤原秀衡の妻となるしずはた姫ですが、その父親藤原基成と奥州藤原家との関係について少々。
藤原基成は後鳥羽院の重臣であった藤原忠隆の息子で、兄弟姻戚に関白が多くいるなど権力の中枢近くにいたようです。
その基成は、康治2年(1143年)4月に陸奥守に任官され、6月に鎮守府将軍を兼任し平泉へ下向。その後、仁平3年(1153年)までの約10年間を平泉で過ごしている。
その後、平治元年(1159年)の平治の乱で敗れた異母弟・信頼との縁座によって陸奥に流された。以降、秀衡の岳父として衣川館に住み、奥州藤原氏の政治顧問的な立場を確立した。
この間、平泉二代藤原基衡と親交を深め、政治的相談役ともなったことなどから、娘を基衡の息子秀衡に嫁がせている。
その娘がこのしずはた姫ということです。
秀衡が京都の朝廷と長く政治的均衡を保てたのもこの基成の助力があったことともいえますが、秀衡としずはた姫の子、泰衡の時代になると風雲急を告げることになるのですが・・・
さて、しずはた姫が父を探して奥州に降る道案内役をした金売吉次
ところが、しずはた姫が築館薬師を目前にして大病にかかり病に伏せる。しかるに、しずはた病みし枕元に亡き母が現れて汝の病は医王山双林寺の法印殿にお願いすれば治るとの仰せにて築館薬師を目指して急ぐ。
築館薬師に着き上人様に対面する。
上人様が病気平癒の祈祷をすると不思議なことに病が直った。 後に、「しづはた姫」 は平泉から一族を引き連れて御礼参りを行った。
という内容の物語が再現されるのが毎年11月3日に開催されるのが築館薬師まつりということです。
かなり昔に祭りを見に行ったことがありますが、こういうバックストーリーがあったとは知りませんでした。
この演目は、「秀衡公桜狩りの場」に続いていきます。
動画でどうぞ
