細野こども神楽 八幡舞 @ 第14回登米市民俗芸能大会
さて本日は、第14回登米市民俗芸能大会から細野神楽さんで八幡舞です。この日はこども神楽となりました。
その前に細野神楽さんの由来についてです。
「細野神楽の由来については文献もなく定かではありませんが、江戸時代末期に始められたものと思われます。
明治十年代(一八七七〜八六)から二十年ほど途絶えた時期があり、当時、唯一の娯楽であった神楽がなくなったため賭博が流行しました。これを憂いた佐藤伊勢松・千代松親子が、明治三十三年(一九〇〇)若柳町畑岡(現栗原市若柳)から同系の「滝沢流畑岡神楽」より南部神楽師・高橋忠右衛門を招いて「細野神楽」を復活させたと言われています。
昭和二十年代(一九四五〜五四)に入り股旅舞踊の人気に押され神楽も一時廃れましたが、昭和四十七年十二月、地域の青年会の熱意と佐藤千代美翁の努力により復活した。」
保存会設立は昭和47年で、平成17年に登米市の無形文化財に指定されています。
保持する演目は、三番叟、天下舞、水神舞、八幡舞、天岩戸開き、山の神舞、西ノ宮、三宝荒神、宝剣納め、宝剣取り、笹割、稲田姫、おもろやき、彦火火、田村二代~三代、国分、羽衣、荒恵比寿、一の谷合戦、屋島合戦等
現在の代表は佐藤宏さんです。
この日は、登米市民俗芸能協会がこの民俗芸能大会に参加する団体が、子どもたちへの芸能伝承を目的に子どもたちを出演させることを奨励したことから細野こども神楽ということでの発表ということです。
細野神楽では地元の米谷小学校の児童4~6年生に神楽を指導し、運動会や学芸会等に出演しているということです。
細野神楽は滝沢流細野神楽ということで笹谷神楽の流れを汲んでいます。
先の山ノ神神楽のこども八幡舞と比較して見ると多少の特徴もあったりして、様々な流派と影響し合ったのかと考えると興味深いです。
動画でどうぞ
