川内神楽 西の宮(道化入り) @ 第34回江刺神楽大会
本日は、第34回江刺神楽大会から川内神楽さんで西の宮です。
川内神楽さんの由来については「南部神楽系譜調査報告書」誌によると
明治三九年頃伊藤捨七、佐藤善左エ門の一一人が世話人となり、胆沢郡瀬台野神楽より伝承された羽田鴬沢神楽の金野忠三郎、菅原常之助両師匠を招請し、伊藤金蔵、菊地庄左エ門、伊藤喜兵衛、伊藤庄蔵、伊藤千百治、菊地用作等が指導を受けて、川内神楽を創設した。
とある。その後、藤里横瀬、田原原体、東磐井郡興田市之通、玉里和田の各神楽に指導伝授するとともに戦後は和賀、気仙沼鹿折、桑ヶ崎方面の祭典に招かれ出演したと「胆江地方の神楽」で記されている。
川内地区は水沢、江刺、東磐井の分岐点に位置し芸能の通り道であったようだ。(嘉永、安政年間には鹿踊りや剣舞もあったらしい)
ざて西の宮は伊邪那岐伊弉冊の二神からの国産みの神話です。
国産みをした二神から最初に産まれた神が不完全だったために、産まれて三月も経って足立たずなので鳥石楠船に乗せて海に流したことから物語が始まります。
その一方で、人間世界では、食べるものも不足して民百姓が困っていました。
今日も獲物はないかと海辺へ出かける村人の太郎です
同じく道化支度の次郎です
二人の民がある日浜辺に出ると、小さな船に蛭子三郎と巻物がありましたので、その巻物に書かれてあることを読み始めます。
するとそこには、魚を採って暮らす術が記されていたので、それに従って生活する知恵を授かります。
かくして、西の宮の神に魚釣りの仕方を習います
西の宮が、なかなか良い漁に恵まれなかったところで太郎次郎が手伝うと見事に大きな鯛を釣り上げます。
最後は、良きことをした太郎次郎の釣り竿に金一封がかかり、めでたしめでたしとあいなります。.
動画でどうぞ
