玉ノ木神楽 寄せ太鼓、御神楽 @ 第34回江刺神楽大会
さて、本日からは7月1日に江刺総合コミュニティーセンターで開催されました第34回江刺神楽大会についてリポートしていきます。
この神楽大会について江刺市教育委員会発行の「江刺の芸能」にこう記されています。
「・・・文化庁は昭和55年度に新規事業として無形民俗文化財地域伝承活動事業を取り上げ、地域のおける祖先伝来の芸能を絶やすこと無く伝統ある民俗文化財の保護伝承に取り組んだ、(中略)江刺市として本事業の指定を受け「資料作成」「伝承教室」「発表会」の三部門に取り組んだ。~発表会については市全域の芸能祭と広瀬地区発表会、更に団体数が多く発表の機会に恵まれない神楽に対し、第1回江刺市神楽大会を開き」とあります。爾来34回を数える大会ということです。(途中4年ほど中断した)
さて、最初は玉ノ木神楽さん寄せ太鼓に続いての御神楽です。
その前に玉ノ木神楽さんの由来について
「玉ノ木神楽は、明治中期(22年頃)、悪病、悪疫や盗人がはびこり住民の難儀この上もなかったことから、当時の区長菊池幸四郎、菊池利喜蔵等が相談し、遠野町から修験者を招き、権現を彫刻し、各戸門打して悪病を退散したところ平穏に戻ったため、菊池利喜蔵宅を座元として創設した神楽と伝えられます。
毎年悪魔払いの行事が氏神八雲神社を中心に行われてきましたが、大東亜戦争等にて衰微したので、昭和36年和田神楽(胆沢系)より先生を招いて小河原流神楽を習得し、玉ノ木神楽として再興しました。
平成に入り停滞しておりましたが、平成13年以降新人が加わり活動を続けております。」
とのことです。もともと岳系統の神楽だったので権現様や式六舞の道具等も保持しているようです。
現在の代表は菊池清一郎さんです。
小河原流というのは水沢の瀬台野神楽の流派ということです。
胴の拍子に独特な特徴があります。
南部神楽の系統に位置づけられていますが、もともとは胆沢神楽などと呼ばれていて、一関地方の南部神楽とは趣を異にしています。前出の「江刺の芸能」では法印神楽という位置づけになっていますが、これは当たらずといえども遠からずといったところでしょうか。
瀬台野系の神楽ではいずれの団体も笛がついている点でも一関や栗原の南部神楽と異なっています。
あるいは、南部神楽発祥の頃の形態を残しているということかもしれません。
動画でどうぞ
