金澤神楽 御神楽 @2018GEINO女子交流会
さて本日は2018GEINO女子交流会から金澤神楽の御神楽です。
由来と経緯について当日パンフレットより
「金澤神楽は、文化12年に金沢地区に山伏によって伝えられたと言われます。
金澤地域は、大槌町街地から大槌川沿いに西に:まkmほどの中山間地地域で、江戸時代初期から金山が開かれていました。
金山など鉱山は、他国の技術者や宗教者が流入して来たことでしょう。|
明治18年頃旅人(沿岸巡行の神楽団体と思われる)が地元住民に教え、中井、三浦兄弟と他5人が、神楽組を設けて集落の稲荷神社や八幡神社の祭礼に奉納してきました。
伝えられた演目は12番ありました。地元ではt山伏系大和神楽として言われています。
昭和15年から昭和25年頃まで大槌稲荷神社へ奉仕し冬場|大槌町や釜石箱崎・白浜周辺を巡行しました。
この時代は一兜清右衛間を同行頭に18人の男性がメンバーになり活発な活動を行つて来ました。
しかし高度成長期になり、それぞれの仕事も忙しくなり巡行は中断し、神楽上演も少なくなって来ました。
昭和30年代には年々大槌町の祭が盛大になり、金澤集落でも神楽復興への気運が高まり、昭和53年に金澤神楽同好会を女性も含めた有志が結成し大槌まつりにも参加し始めました。
大槌まつりへの参加で神楽への関心が高まり伝承者の輸が広がり現在に至つていますが東日本大震災で神楽幕や装束・楽器を失い苦難を強いられました。
震災を乗り越えて小鎚神社祭礼にも参加したことで更に伝承の輸が広がり、様々なイベントにも出演してきました。
そして平成26(2014)年4月に同好会から保存会へと組織変更を行い20人以上で活動しています。」
ということです。
金澤地区は江戸時代には代官所のあった大槌と南部藩城下町盛岡を結ぶ街道の要衝にあり、また亨保年間に金鉱脈を掘り当てて産金の里として隆盛を極めた歴史を持ちます。
更に沿岸部と内陸部の堺でもあったため双方の文化が交流した地域でもあります。故に浜の黒森系統の神楽の影響を受け継いでいます。
下舞のあとに幕出し唄
〽 エンヤーハー ご祈祷に千代の御神楽舞い遊ぶ
鳥兜を付けた神楽子が舞い出て扇と鈴を採って舞います。御神楽とも鶏子舞とも称します。
明治期の中井栄蔵、三浦万徳兄弟の頃は4,5人の神楽衆とともに黒森神楽や小鎚神楽とともに門打ち神楽をして歩いたということです。
金澤神楽さんは、いつもは大槌の秋祭りで見かけますが、この扇にオサゴ(散供)を載せて祓いあげ舞納める形が優雅かつ儀礼的意味合いの深い御神楽だなと感心しています。
今年も安渡祭り、大槌祭り見に行きたい!
動画でどうぞ
