慈恩寺舞楽 「三台」 本山慈恩寺 一切経会
さて本日は慈恩寺一切経会から三台(さんだい)です。
その前に、本山慈恩寺について。
天平18(746)年に、聖武天皇の勅命により、インド僧婆羅門によって開山されたと伝えられている。
以降、鳥羽上皇や藤原氏、平忠盛、山形城主の最上氏、寒河江城主の大江氏の庇護を受けてきた。
江戸時代には幕府から2,812石余の御朱印を受け、一山組織として最盛期には弥勒堂を中心に最上院 ・ 宝蔵院 ・ 華蔵院三か院と付属する48坊からなっていた。
一切経会当日は楽屋となる慈恩寺山門、県指定文化財となっている。
さて、演目の三台は、三台塩、天寿楽ともいわれ古代中国小説の遊仙窟が原典という。
物語は主人公が黄河上流の河源に使者として赴く途中に山深い仙人の住む仙窟に迷い込み仙女の崔十娘と兄嫁の王五嫂の二人の未亡人に歓待を受けて歓楽の一夜を過ごし翌朝には名残り惜しんで別れるという筋書きのようです。
この小説を献上された唐代の則天武后が気に入り、技芸としたのが始まりという。
この演目は、本来は四人または六人で舞うものだが、慈恩寺では一人舞で演じた。
平安時代に日本にもたらされたということだが、今日では中央では伝えられておらず、林家舞楽のみという貴重な舞です。
動画でどうぞ。
