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2018.03.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

達古袋神楽 田村二代 @ 第33回一関民俗芸能祭

さて本日は、第33回一関民俗芸能祭から達古袋神楽さんで田村二代 です。

その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より

「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」

とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。




南部神楽の田村モノは奥浄瑠璃の「田村三代記」からの台本とみられているが、その「田村三代記」も御伽草子の「鈴鹿の草子」や古浄瑠璃の「坂上田村丸誕生記」などの影響を受けているという。
これらは室町期の成立とされ、奥浄瑠璃はその後の江戸時代に入って仙台領内に根付いて盲人の門付芸として大衆に愛された。

その田村三代記を三人の主人公ごとに一段ずつに語りモノと同形式で神談議本を創生してできたのが、田村一代(利春)、田村二代(利光)、田村三代(利仁)である。

その田村二代さんです。

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勅命で山城国の今瀬が淵に住む悪龍退治に、供の霞の源太と海老名源八を連れ、神通の鏑矢を携えて出陣します。

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今瀬が淵には悪龍がいて、恐ろしい形相で利光らを威嚇します。
この幕を使った演出は怨霊などにも使われます、昔は本当に怖かったと思います。

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利光と悪龍の戦いが続きますが決着がつきません

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最後は、利光の家来の老名源八が悪霊を討ち止めます。

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晴れて退治を成し遂げて、千代の御神楽宮くずしです。

DSC01996.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2018.03.22 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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