蓬田神楽 地神四代の帝彦火炎出見之尊 @第33回一関民俗芸能祭
さて本日は第33回一関民俗芸能祭から蓬田神楽さんで地神四代の帝彦火炎出見之尊です。
その前に蓬田神楽の蓬田神楽さんの由来について南部神楽の系譜より
「舞草神社は一時期舞草穴倉地内に社地があった頃、神職が大権院神楽を奉納していた。
当時の神楽の師匠は、穴の倉の佐藤円吉、次いで蓬田大助であった。
明治初期、蓬田一族の氏神天神様に神楽を奉納するため、蓬田大助が庭元となり、東磐井郡長島村南部神楽の流れをくむ赤伏神楽の指導を受け、蓬田神楽を創設した。
初代庭元蓬田大助、二代伊藤寅之助、三代蓬田清吉、四代佐藤松治、五代蓬田稔である。」
とありますが、現在の代表は伊藤一さんでこの日も胴を取っておられますが、その隣で鉦摺りをしているのが蓬田稔さんです。
演目は、神話の海幸山幸の物語を神楽に仕組んだものです。
天孫瓊瓊杵尊の子、彦火火出見尊と火遠理命の兄弟の諍いの話です。
弟 彦火火出見尊です
兄 火遠理命です
ある日、彦火火出見尊は兄の所領である海の恵みを得ようとして兄から釣り竿を借り受けます。
兄には自分の所領である野山の狩りをする弓矢を貸します。
(物語は海釣りと山狩の交換ですが、実際は所領争いと思えます)
ところが、彦火火出見尊は魚一匹釣れないどころか、魚に釣り針を取られてしまいます。
彦火火出見尊が兄に釣り針を返そうと自分の劔を打ち砕いて千本の釣り針を作るも受け入れられず、途方にくれていると、浜辺で塩土の翁が現れて、亡くした釣り針を見つけるには竜宮へ行くべしとて、海路進むこととなります。
と、ここの部分は動画で確認していただきたいところです。
塩土の翁が彦火火出見尊を竜宮に誘う場面では、船を漕いでいく所作になります。これは明らかに蓬田神楽が法印神楽の残照を色濃く残している証左です。
次に、竜宮城に着いた彦火火出見尊を迎えたのが豊玉姫です。
神話によれば、二人が結ばれて、やがて鸕鷀草葺不合尊そして神武天皇へと続いていくことになります。
さて、演目が進む中でストーリーを解説してくれる役割が出てきます。
実は、今回の蓬田神楽さんの神楽上演で一番肝心なことは、このタコフグ道化であったと思います。
このいわゆるタコフグ道化というのは、浜神楽(法印神楽)の上演の場で、神楽の中入り的に気安く楽しめる時間を創出するために道化面をつけて面白おかしく表現する部分をいう。
それが南部神楽にも継承された事象が沢山確認できるので、明治大正昭和の時代に廻村上演して歩く際にはかかすことのできない演目だったと推量される。
タコです
ふぐです
旧胆沢郡の恩俗神楽の神台本によると、「狂言三人出る」とあり、続いて次の神台となる
やれやれ、神様の御子息の彦火火出見尊が兄尊の釣り針を無くし、それを捜しに竜宮城へ来たという。
ところが、竜宮に来て見目美しい乙姫様にみとれて夫婦になった。
彦火火出見尊がお帰りになる時に満珠干珠を授けて帰す場面を道化の二人が口説きます。
動画でどうぞ。
