市野々神楽同好会 鶏舞@ 第33回一関民俗芸能祭
さて本日は第33回一関民俗芸能祭から市野々神楽同好会さんの鶏舞です。
その前に、市野々神楽同好会さんの元となった市野々神楽について定本より参照すると
「市野々神楽は吾勝神社の奉納神楽で羽黒派自鏡山金剛院の法印神楽の流れを汲むものである。
市野々神楽直系の本郷神楽が盛んになり、市野々神楽を代表するようになった。
また、市野々神楽の流れをくむ赤猪子神楽は山谷神楽系を取り入れ盛んになった。両神楽とも昭和初期舞手がなくなり合体して市野々神楽と改称した。戦後舞手がなく再び衰退したが、昭和51年南沢神楽の指導で市野々神楽を再興した。」
とあります。
そもそも市野々という地域は、南部神楽発祥の地とされる自鏡山吾勝神社のお膝元であり、羽黒修験が修行布教したところです。
現在の市野々神楽とは別だと思いますが、おそらく当時は里修験が集まって神楽を催し、その験力を示すとともに里人の娯楽としても栄えた芸能だと推量できます。
その片鱗を今日に残しているのが南部神楽なのです。
昭和51年当時、地域の若者の集まり「市野々読書会」が一関市で開催されたヤングフェスティバルに出場する際に「自分たちが大人から習ったものをやろう」と、鶏舞を演じたことがきっかけで有志 15 人が同好会を設立。以降、鶏舞のみを演じてきたということです。
市野々神楽同好会さんでは、会員が男性3人女性 13 人で地域の行事等に出演する他、市野々地区の子ども達にも指導をしているということです。
また、市野々神楽同好会さんでは、佐藤慶男氏に神楽を習った当時は幕神楽も上演していて、岩戸入り、三番叟、五條の橋、宝剣納め、五代領などを継承していたが現在は鶏舞のみの活動となっている。
このように鶏舞に特化して、従来の神楽とは趣は違えども継承の道を探っているのは、最近の鶏舞ムーブメントの先駈ともいえるかもしれません。
これからも地域あげての子どもから大人まで親しめる鶏舞を継承していくことと思います。
動画でどうぞ。
