布佐神楽 玉織姫 子捨ての場 @ 第14回いわい地方民俗芸能祭
さて本日は、第14回いわい地方民俗芸能祭から布佐神楽さんで玉織姫子捨ての場 です。
布佐神楽さんの由来については定本より
「文久三年(1833)千葉菊治、鈴木門治が世話人となり、東磐井郡相川村(現一関市)字水上の千葉稀治、千葉作右ェ門の指導により、法印神楽を千葉忠之丞、千葉兵太夫に伝授された。
さらに明治八年松川村(現東山町)の法印管野典善師より法印神楽を学び、倭書記神楽の巻物を授けられた。
明治後半から大正初期に至り、法印神楽を基本にしながらも、地方の伝説、民話、物語等を神楽用に脚色したり、科白(せりふ)神楽等も演目に加え、この地方独特の神楽として名声を博して来た。
初代庭元千葉兵太夫で現在の庭元千葉慶一は一○代目である。
昭和五三年三月、川崎村指定無形文化財となっている。」とありますが、岩手県無形民俗文化財として指定されています。
現在の代表は千葉仁一さんです。
さてこの演目は、平家物語の「敦盛最期」の後日譚として室町期に御伽草子に作られたものを底本としています。
若くして散った平敦盛の遺児 小敦盛を主人公とする物語で、小敦盛が、捨て子となるものの、法然上人に育てられ、母との再会を果たし、亡き父敦盛の亡霊に出会って、出家するまでを描いています。
南部神楽では、法童丸の一代記として「玉織姫子捨ての場」「法童丸庭園の場」「法童丸母と対面の場」「法童丸父と対面の場」等として上演されています。
一の谷の合戦で熊谷に敗れた平敦盛の妻玉織姫は、源氏の追手の手にかかり、我が子の命が危ないと悟り懊悩します。
そこで敦盛の形見の黄金造りの短刀で自らの手にかけようとします。
〽 敵の手に渡すなら 母が手にかけ候なり
冥土におわす父上様もよもやお恨みなさるまじ
必ず母を恨むなよ
その刹那、乳母に手を止められて、加茂の明神 一条下り松の下に捨て子をすることになり、黄金造りの短刀を添えて立ち去ります。
そこへ真黒谷光明寺法然上人が通りかかります。
法然上人の元で出家した熊谷次郎直実は蓮生坊となります。
一条下り松の下にいる捨て子を拾い育てることとします。
動画でどうぞ。
