行山流小沼鹿踊 入羽、水車、三人狂 他 @ 第14回いわい地方民俗芸能祭
さて本日は、第14回いわい地方民俗芸能祭から行山流小沼鹿踊についてです。
この日の会場は平泉文化遺産センターふれあいホールだったのですが、鹿踊の狂いをやるには狭いということで、お天気もよいので外での上演となりましたが、これが功を奏していました。
厳しく長かった冬の終わりを告げるような、まるで春彼岸獅子の如くの鹿踊となりました。
小沼鹿踊は行山流の中でも大原山口屋敷の又助に起源をもつ山口派になります。
その大原山口屋敷が没落して文化14年(1817)に木盃等一切を大東渋民の小崎幸五郎に引き継ぎ、さらに明治中期に大東摺沢の三浦利三郎に伝授されたのが小沼鹿踊の嚆矢となろうか。
この山口派の鹿踊りは山城国の山口城の郷士が大原八幡堂に定住し、仏前供養のために始めたものであろうと。
また、小沼鹿踊りに伝わる文書には
行山をとりの事
一、く屋うの御紋
二、菊の御紋
三、かに牡丹の御紋
四、とりげまいかけ
右の通御紋おはいりやうの事
東山大原村山口屋敷
又助
安永弐巳午年八月八日
とあり、1773年に伊達家より紋章使用の許可を受けたとある。
また、別の文書に
御詠歌ならひに
ご紋の儀は中立ちに限るべし
垣躍は九曜の星を附くべし
其外伝執心によりて会伝授申候
このことより、流しに御詠歌を入れるのは中立ちと雌鹿のみとなっている。
中立ちの流しには
「陸奥の信夫牡鹿乃牝鹿の里 声を揃ひて遊ぶしかかも」
雌鹿のは
「秋萩をしからみふせて鳴鹿の めにはみへずとおとのさやけさ」
となる。
入羽で庭入りした後、中立を中心に鹿達が廻ります
さて一人狂い、ササラを大きく前に突き出しての肩入れです。
〽 これのお庭に で三人狂いに入ります
ササラを大きく左右に振る様が特徴的です。
これは、太鼓系鹿踊のルーツとされる仙台鹿踊にも無く、志津川水戸辺から始まった行山流のみに見られる芸態です。
そして最後は踊り鹿子で巡りながら踊り、最後は引き羽で舞い納めます。
動画でどうぞ。
