達谷窟毘沙門神楽 月見坂の受難 @ 第14回いわい地方民俗芸能祭
さて本日は、第14回いわい地方民俗芸能祭から達谷窟毘沙門神楽さんの月見坂の危難についてです。
達谷窟毘沙門神楽さんの由来については定本より
「今から230年ほど前に始められたと言い伝えがあるが資料はない。
明治初期、水沢市北下幅神楽と、大正初期水沢市瀬台野神楽を指導し交流がなされている。
現在の神楽は、昭和四八年、平泉町平泉字上窟の阿部幸吉師匠の指導により復活したものである。
古い庭元のことは不明であるが、現在照井幸男が代表者となり世話している」
とありますが、現代表は照井幸子氏であります。
達谷窟毘沙門神楽さんは文字通り平泉の達谷窟毘沙門堂 別當達谷西光寺に奉仕する神楽として有名であります。
毘沙門堂での例祭には必ず窟内で御神楽を奉納しています。
さて、演目は壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経が、兄頼朝に見限られて追われる身になり奥州平泉の藤原秀衡のもとへと身を寄せます。
しかし、その秀衡がまもなく病死すると後ろ盾があやしくなってきます。
そんな折、義経がひとり中尊寺へと続く月見坂を登っていると、あやしい上臈が声をかけてきます。
錦戸の上臈は、言葉巧みに義経にしきりと酒を勧めます。
上臈は実は義経の兄頼朝が送り込んだ刺客で、義経が酔っている間に義経の命を奪おうとします。
そこへ弁慶があらわれ刺客を追い払います。この日は、弁慶が客席から大音声で刺客を呼ばわるという演出でした、見事です。
自らの危難を知った義経は平泉を去ることを決意し、秀衡に別れを告げるため金色堂を参詣します。
義経の前に秀衡の亡霊が現れ、進むべき道をさとしたという夢幻能のような構成になっております。
動画でどうぞ。
