田頭讃念佛 初盆宅を訪問した時の問念佛 @ 第14回いわい地方民俗芸能祭
さて本日からは、3月4日に平泉文化遺産センターで行われました第14回いわい地方民俗芸能祭についてリポートしていきます。
いわい地方の旧市町村毎に輪番で開催してきているこの芸能祭ですが、今年は平泉町での開催となりました。
まずは、盂蘭盆に念仏を請われた家々や寺を廻って念仏申しをする田頭讃念佛です。
由来譚について当日パンフレットより
「天明年間、小島村三草作(屋号)の佐内という剛力の若者がいて、山に朝草刈に行ったところ、石塚山の穴に隠れようとしている大蛇を見つけ、力くらべをしようと大石を、取っては投げ取っては投げて穴を広げて、大蛇の尾を掴み、満身の力をめて引張った所、半分から千切れて殺してしまった。
帰り道に喉が渇き泉で水を飲もうとした所、水が全部小さな蛇になり、飲むことができなかった。
家に帰ってからも地面いっぱいに蛇がいて歩くこともできなかったという。
寝ても毎夜大蛇の夢に悩まされるので、これは大蛇の崇りと思い西国に寺参りに行き、そこで習得して帰り、地元の人達に伝えたのが始まりでお盆の時に墓でやる様になり、初盆の行事として定着しておよそ、250年位の間、庭元が変りながらも一度も途切れる事なく引き継がれて居ります。
今回は、初盆宅に招かれた時の念佛ですが、ほかに盆棚の前、ご馳走になった時、お寺に行った時、本尊の前、川灯籠を流す時、墓前での念佛など20種類以上の申し言があります。」
ということです。代表は浅利和昭さんです。
この念仏踊りについては、長島の隣地区になる一関市舞川の舞川鉦太鼓念佛を取材したことがありますが、その儀礼と芸態はほとんど同じで、庭元さんが言っておられたように、かつてはこの周辺では多くの集落で同様に盆行事として行われていたことが推察されます。
これらの念仏踊りは欣求浄土や死者への念仏供養を目的としつつ、花笠などの風流も加えて、供養する者の慰めをも兼ねていたことが敷衍の要因となったことと思う。
しかしながら、、北上川河畔のこの地帯では度重なる悲惨な水害を蒙り、甚大な被害を受けてきた。
川辺で荼毘に付する中で鉦と和讃の声が心の救いとなってきたのだろう。
最後に留め念仏
〽 点灯を上げて燈明仏を供養し奉る人は 皆現には病難を除き 未来は必ず示現に佛果に至らん事を 南無阿弥陀
この田頭讃念仏は、毎年8月15日の送り盆の、10時ごろから請われた初盆の家などを回って念仏申し、夕方の4時には万福寺で、6時ごろには東松寺で念仏する習わしになっているということです。
ということで、ことしのお盆にはこの田頭讃念仏を追いかけてみようと思っています。
動画でどうぞ。
