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2018.02.28 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

南部笹流大平神楽 田村将軍一代記 @第39回志波姫神楽鑑賞会

さて本日は、第39回志波姫神楽鑑賞会から南部笹流大平神楽さんで 田村将軍一代記です。

その前に大平神楽さんの由来について

「明治初年に岩手県胆沢郡衣川村上衣川から若柳に婿入りした高橋忠右エ門が間海の田代芳蔵らに指導した。
梅崎神楽と称した。
明治18年にその田代芳蔵から大平の鹿野巳代吉、明治25年に鹿野吉三郎に伝授された。
初代庭元田代政之進、二代鹿野吉三郎、三代鹿野信一、四代目は鹿野一男である。
戦後に後継者難で長い間中断したが、昭和58年に不動堂西館青年会が中心となり、当時最期の神楽師である佐藤七右衛門、及川千次郎の指導のもとに再興し、平成元年三月一日、志波姫町教育委員会より、無形民俗文化財第一号の指定を受けた。」

現在の代表者は猪狩賢一さんです。



ところで、この大平神楽さんは、その団体名にあるとおり笹流を名乗っています。
この笹流というのは大平神楽の前進梅崎神楽を興した指導した高橋忠右衛門が先達として伝えられているが、この高橋忠右衛門は笹谷の出ということになっている。
この笹谷という地名は、大平神楽の伝承では衣川村ということだが、一関市赤荻に南部神楽の一本流の笹谷神楽のことかと推量される。
その笹谷神楽は20年ほど前から神楽は行われなくなっていました。
しかし、昨年末に地域を見直す動きがあり、もしかすると笹谷神楽が復活するかもしれないということです。

<画像は笹谷稲荷神社にある笹谷神楽記念碑 2013.6.22 撮影>

CIMG0344.jpg

閑話休題

南部神楽の田村三代は奥浄瑠璃の「田村三代記」からの台本とみられているが、その「田村三代記」も御伽草子の「鈴鹿の草子」や古浄瑠璃の「坂上田村丸誕生記」などの影響を受けているという。
これらは室町期の成立とされ、奥浄瑠璃はその後の江戸時代に入って仙台領内に根付いて盲人の門付芸として大衆に愛された。

その田村三代記を三人の主人公ごとに一段ずつに語りモノと同形式で神談議本を創生してできたのが、田村一代(利春)、田村二代(利光)、田村三代(利仁)です。

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一代目は将軍・二条大納言田村利春のことです。
「帝より寵愛を受け、天人を呼ぶという天楽横笛の吹奏を所望されたがこれを断ったため、大日山の麓、春日山に流される。
聞こえるのは峯の松風、沢の清水の音ばかり。
深山のあまりの淋しさに笛を吹きだす。

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その音色にみせられて逾江ケ池に棲居をなす竜女が美しき女に身を変え利春の前に姿を現した。

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二人は契りを結び、ほどなく懐胎の身となった息女は逾江ケ池の真中に十丈の産小屋をしつらえこもる。

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百目百夜産小屋をのぞかぬように止め置かれたが、九十九日目の夜、利春はついに約束を破る。そこには蛇身となり十丈の産小屋を七重に巻き十六の角の間に玉のような男子を抱く変わりはてた妻がいた。

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あさましき姿を見られた竜女は、我が子を利春に託し、再び逾江ケ池に姿を消した。
その折、母の形見として「神通の鏑矢」を授かった男子が、長じて、二代・利光となる。

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利春は、せめて我が子が七つになるまで、姿を人間の女に戻して育ててくれないかと問いかけますが、それは叶わないことといい、形見を残して消え去ります。


我が子に未練を残して去る竜女の姿を髪を振り乱して表現するの凄まじい。

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動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2018.02.28 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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