雄勝法印神楽 初矢 @2017 葉山神社秋季例大祭
さて本日からは、昨年のことではありながら10月1日に行われました、石巻市雄勝町の大浜鎮座葉山神社秋季例大祭から雄勝法印神楽の奉納についてリポートしていきます。
ここ葉山神社は、東日本大震災で全壊し、震災から約4年半を経て平成27年に再建された。
そして、秋季例大祭が昔の通りに行うことができたが、ここに至るまでの地域の皆さんの苦悩と奮闘が偲ばれます。
神楽奉納に先んじて、神職による湯立神楽が奉斎されました。
神社での神事の後に神楽奉斎です。
雄勝法印神楽さんは国指定の無形民俗文化財となっています。
由来については「宮城県民俗芸能(1)法印神楽編」より
雄勝町大浜の葉山神社(石神社)宮司千葉憲彦家は、かっての羽黒派修験の市明院で、社伝によれば延徳2(1490)年に創始されたといわれる。同家には元文4(1739)年の『御神楽之大吏』が所蔵されてあり、法印神楽において最も古い文書である。この神楽文書については1項目をもって前述しておいた。同家の延享3(1746)年10月の修験書上によると、桃生郡内の羽黒派十法印(または桃生十箇院とも称す)が記載されてあり、その中には雄勝町の大浜市明院、雄勝浜金剛院(現熊野神社小田家)大須浜大性院(廃絶)の3院が記されている。雄勝町での旧神楽組はこれらの同派修験が相集って神楽を行っていたものと思われるが、長い時代にはどういう経過をたどったものかは解らない。おそらく修験廃止の明治以降だと考えられるが、雄勝町域における神楽組はこの3院を本拠として基本的には3組の神楽団によって行われてきたが、それぞれ相互に交流し合い、さらに十三浜(現北上町)や本吉郡の戸倉(現志津川町)の神楽組との交流も深まっていたといわれる。昭和15年に十五浜神楽団(十五浜とは雄勝町の旧村名)が結成されていたが、昭和26年4月に至り町内の3団体が正式に合流して雄勝法印神楽保存会が結成され1団体に結束して活動し始めた。
ということです。
この日の神楽演目は次のとおり
初矢、三天、岩戸開き、蛭児、五矢、所望別け、鬼門、笹結び、日本武尊
演目の初矢(しょや)は、神々の中でも最初に出現した天之御中主神の舞とされています。
天地創造の過程で、次々に出現する神々を導く大切な役割とともに国分、四季分け等の裁定もするなど八面六臂の活躍をする神様です。
法印神楽においてこの初矢は、舞手が最初に習得すべき基本の舞と位置づけていて様々な手次足次を覚えながら神楽人として舞台に立つ心構えを会得する演目となっているようです。
動画でどうぞ。
