鶯沢神楽 敦盛、玉織姫別れの場@ 南部神楽舞納め
さて本日は南部神楽舞納めから鶯沢神楽さんで、敦盛、玉織姫別れの場です。
その前に、鶯沢神楽さんの由来について定本より
「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創設した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者養成講習会を開催した。講師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。
初代庭元玉井豊之助、現在の庭元岸湊は六代目である。」
ということです。現在の代表者は高橋長人さんです。
源平の雌雄を決する戦場一の谷の陣屋に、若き夫の平敦盛を尋ねきた妻の玉織姫
無冠の太夫平敦盛は戦場に女が来ることは武士の道に悖ると帰そうとします
しかし、玉織姫は人として真の道を問いかけます。
ここは親子人情話の場面ですが、南部神楽の特性を考える上で、今ひとつのことに思いをいたさねばなりません。
それは、南部神楽でこのような演目が上演された時代背景です。
明治大正昭和のはじめと、南部神楽が全盛を誇っていた時代には日清日露太平洋戦争がありました。
そして、東北地方の男たちが戦争に駆りだされ、神楽ばかりでなく多くの民俗芸能が立ちゆかなくなった時代でもあります。
そのような中で、子どもを身籠った玉織姫の切ない気持ちにどれほど多くの女性達が神楽に共感したことか想像に絶するものがあります。
夫を思う気持ちと、子の将来を憂う気持ちと、南部神楽の基を思わずにはおられません。
懸命に敦盛を押しとどめようとする玉織姫の姿は涙を誘う場面です。
動画でどうぞ。
