三ヶ尻神楽 御神楽 @ 第37回金ケ崎町郷土芸能発表大会
さて本日からは11月19日に開催されました第37回金ケ崎町郷土芸能発表大会についてのリポートとなります。
毎年のことながら思うのは、金ケ崎町という地域は、旧伊達藩と南部藩の境界に位置しているため双方の芸能の坩堝となっていたこと。更に、最前線の番所があったため相応階級の武士が駐留していたため、伊達藩の文化的なモノ・コトが移入された地域でもあります。
それは民俗芸能に関しても換言できることで、鹿踊や田植踊等にも仙台の風情が色濃く残っていたりする。
という訳で、最初は三ヶ尻神楽さんの御神楽です。
三ヶ尻神楽の由来は金ケ崎町史より
「明治38年川口田の後藤房松が地域の青少年が惡い遊びに入らないよう、将来のために善良な風俗を育成するには健全な娯楽が必要と考え、胆沢の前谷地神楽の米倉純治を師匠に迎えて神楽団を創始したことに始まる。
その後、太平洋戦争時に中断したが、昭和45年に小学生に伝授して今日に至る。
しかしながら、その後は後継者を育成することに重点がおかれ、継承をどのように行えばよいのかということが喫緊の課題となっている。」
とありますが、御神楽舞手の子供たちの親御さんが神楽衆に加わるなど、今後の活動に希望が持てます。
現在上演できる演目は御神楽のみとなっているが、本来は式舞7番、狂言神楽14番を保持していたという。(金ヶ崎の文化財Ⅱ)
三ヶ尻神楽さんは前谷地神楽からの伝授ということで笹谷流としていますが、御神楽に関してはむしろ胆沢神楽の影響が見て取れますので、様々な変遷があったことが推量されます。
この子たちの中から継承者が育つことを願ってやみません。
動画でどうぞ。
