末角鹿踊 初庭@第45回川井郷土芸能祭
さて、本日は第45回川井郷土芸能祭から末角鹿踊の初庭です。
末角鹿踊の由来について岩手の民俗芸能獅子踊編下巻等より
末角鹿踊が保持する伝書「末角獅々踊廻向秘伝」によれば、「明治9年旧7月小国村江繋尻石伝来廻向文傳ふ」とある。
川井村中心部より遠野市へ通じる街道沿いの鹿踊りは、関口麒麟獅子踊を除けば全て「カンナガラ獅子」である。
そしてその嚆矢となったのは旧小国村で最も閉伊街道(国道106号線)に近い繋集落にあった繋鹿踊のようである。
繋へは延享2年(1745)7月に初めて踊られたという記録がある。(これが何処から伝承されたかは不明)
その後、小国川を遡上するように明治6年(1873)に旧江繋村の尻石鹿踊へ、明治7年(1874)に同江繋鹿踊へ伝承され、次いで末角へと伝承されたようである。
そういう訳で、この江繋・小国一帯は同系統の鹿踊群といえる。
鹿頭も夏屋鹿踊を始めとする系統の鍬形ではなく、枝分かれした鹿角を模した物になっている。
そして、角の真ん中に立てものとして剣や月等を付けている。
尚、現在は鹿七頭の踊としているが、かつてはこれに「ツボけ」と称する道化役でありながら踊り師匠の者があったということである。
とにかく鹿頭が大きいのに目を見張る
この日の演目は初手庭(ショデニワ)であるが、川井の鹿踊では、演目を大きく分けて初庭(前庭)と後庭に分けている。
そして初庭の中に庭入りの入羽から女獅子狂い、引き羽が入っている。
末角の鹿踊は、側鹿の踊りが非常に激しく、尚且つ太鼓を叩く先胴後胴が鹿とともに跳ねるので非常に躍動感がある。
動画でどうぞ。
