瀬峰神楽(子供) 八幡舞 平成29年10月29日 これはりの里神楽伝承まつり
さて本日は、これはりの里神楽伝承まつりから、瀬峰神楽さんが指導を行っている瀬峰小学校の子供たちによります八幡舞についてです。
その前に、瀬峰神楽さんの由来について、会長の門脇さんに電話でインタビューした内容から
「現在の瀬峰は、明治の中頃まで藤沢地区と大里地区に分かれていた。
藤沢地区には南部神楽の流れを汲む二つの藤沢神楽が存在していた。
氏家慶喜氏と細川勇三郎氏をそれぞれ座頭に活動していた。しかし両神楽とも後継者に恵まれず、大正の中頃には自然消滅状態となり、実に五十数年もの間途絶えていた。
昭和四十六年四月、当時の瀬峰町文化財保護委員の木村二郎氏が、藤沢神楽を復活させようと各方面に提唱していた。おりしも同年十二月十八日の河北新報に、登米市中田町宝江新田の「舘神楽」が紹介されていた。それによると舘神楽の元祖は、瀬峰の藤沢神楽であると判明したと書かれていた。これを機に木村氏は更なる呼びかけをし、舘神楽に指導を仰いで練習を重ね、昭和五十年一月十九日「瀬峰神楽保存会」(初代会長鎌田里見、会員十三名)の名称で設立発足し現在に至っている。」
ということで、その舘神楽は加茂流を称しているとおり流神楽を継承しているので、幕末の藤沢神楽自体が流神楽だったことなのかもしれない。
この日は神楽の伝承を確かなものとするという意義もこめられたイベントだったので、各神楽団体が子供たちに関わりをもっって伝承活動を行っていることの発表という意味合いもありました。
瀬峰神楽さんでは、地元の瀬峰小学校の児童たちに17年前から総合学習の授業の一環として神楽を指導してきたということです。
瀬峰は栗原市に位置しますが、流神楽が基になっているようなので、こどもたちの舞でありながら八幡舞を演じるというので特に取り上げてみましたが、これはやはり現在登米地方に多く流布する舞型になっています。
瀬峰神楽での八幡舞は、「扇の舞」「弓の舞」「神上げ」の順に舞われるが、子どもたちには「扇の舞」だけ上演のために指導しているというこです。
いつか大人の八幡舞を見てみたいと思います。
動画でどうぞ。
