大森神楽 田村三代 @ 第40回平野神社神楽大会
さて本日は、第40回平野神社奉納神楽大会から大森神楽さんで 田村三代です。
その前に大森神楽さんの由来について
「大森神楽は昭和45年7月、当時の衣川村立衣川小学校大森分校教諭の佐々木久雄(直木賞作家、三好京三)氏と当時衣川村の教育長で大原神楽の師匠、小坂盛雄氏が中心となり、分校の児童に神楽を伝授したのが始まりである。その後学校教育と関わりあいながら活動し、児童全員に踊り伝えられてきた。平成10年3月に大森分校が閉校になり、保存会としてスタートした」
とあります。現在の代表は佐藤吉訓さんです。
南部神楽の田村三代記は奥浄瑠璃を底本として創編されたようですが、神楽団体により多少筋立てが違っています。
登場人物の複雑さやエピソードの多様性によるものと思われますが、それが却ってこの演目の人気につながっていると思います。
人皇五十四代仁明天皇の時、鈴鹿の山に天竺の魔王の娘・立烏帽子が篭り、日本国をくつがえそうとしていたと聞き、帝は田村利仁に立烏帽子の征伐を命じます。
征伐に向かう田村三代利光
利光の配下の霞の忠太盛春
伊勢の鈴鹿山に住む立烏帽子です。
利光の呼びかけに応じて出てきます。
〽 センヤー 山の葉 山の葉を エー ヨーサー ヨーサー
見事な姫舞です。この日の舞の部で個人賞を受賞しました。
利光が立烏帽子と闘いになります。
一枚上手の立烏帽子は利光を組み伏せてこう言います。
自らは大通煉、小通煉、顕妙煉とて三振りの剣を持ちたもう。汝を討たんとすればこの三振りの剣を抜きかければ如何で御身は逃れまじ。さりながら、我が身は夫もなく頼りなし、汝と夫婦にならばや。
さて、達谷窟に大武丸という逆賊が住んでいた。
これを利光と立烏帽子が共に退治に行くことになる。
利光と大武丸の闘いとなるも取り逃がしてしまいます。
立烏帽子の御神楽により正八幡神の加護を得た利光は、岩屋に隠れた大武丸に神通の鏑矢をもって退治します。
動画でどうぞ。
