岡谷地南部神楽 屋島合戦 忠信、継信尋ねの場@第40回平野神社神楽大会
さて本日は、第40回平野神社奉納神楽大会から岡谷地南部神楽さんで 屋島合戦 忠信、継信尋ねの場です。
その前に岡谷地南部神楽さんの由来について
「明治三二年、工藤清右エ門(東和町嵯峨立から養子に来た人)が庭元兼師匠となり、修験道賀田羽流剣舞神楽を部落の若者達に指導し、岡谷地南部神楽を創設した。
また、大正時代に中田町宝江新井田から師匠を招いて笹流新井田神楽や加茂流舘神楽の芸風も取り入れた。
発足以来、地元の旧県社登米八幡神社の秋季例祭に奉納されてきた。
法印神楽の影響をよく残しており、笹結や宇賀玉等の演目を保持している。
初代庭元工藤清右エ門である。」
とありますが、現在の代表は佐久田和尋さんです。
元暦2年2月、平家を屋島に追い込んだ源氏の大将源義経は、その股肱の臣佐藤継信、忠信兄弟とともに奮戦する場面です。
屋島の戦いで、平家の猛将平教経は源氏方の主将義経に戦いを挑みます。
平教経は義経を討つべく配下の菊王丸の意見を聞きます。
そしてわっぱの菊王丸の差し出した管矢によって継信は負傷します。
平家方の猛将平教経が、世に聞こえし強弓に、配下の菊王丸が差し出した管矢をつがえて立ち向かいます。
源平入り乱れての戦闘が終わり、義経が継信の姿が見えないことを案じ、弟忠信に捜索を指示します
最後には共に義経殿に参らんと進む場面です。
動画でどうぞ。
