嵯峨立神楽 笹結び @第40回平野神社神楽大会
さて本日は、第40回平野神社奉納神楽大会から嵯峨立神楽さんで笹結びです。
嵯峨立神楽さんの由来については次の通り
「嵯峨立神楽は、修験道賀多羽流と称し弘化年間(1844~ 48)嵯峨立普慶院第二十四世佛心得宗大和尚により伝承されたと言われていますが、中田町上沼八幡山にある「上沼加茂流法印神楽」の由来書には、江戸時代中期、中田町内にある六ヶ院の法印たちにより神楽を執行し、文化・文政の頃には、東和町錦織や嵯峨立の法印も加わり十三ヶ院で神楽を演じていたとの記述があり、現存する古い神楽本には上沼や浅部の法印神楽と同じ演目が残されています。
明治初年、神仏分離令により修験宗が解体され、法印神楽の継続が困難となり、明治初期に当時流行していた南部神楽を取り入れ変容したものと思われます。
他の南部神楽では決して演じることのない法印神楽のみに伝わる「笹結び」や「宇賀玉」などの演日が嵯峨立神楽には伝承されており、法印神楽の芸風を色濃く残したきわめて貴重な南部神楽となっています。」
ということです。
現在の代表は千葉和広さんです。
笹結びの筋立ては当日プログラムより
「神代の昔、日本が創生された頃の神話を「古事記」がもとになつている。高天原より海原を指して「フジオイクミノ神」が舞い降りた。フジオイクミノ神はある心配事がありそれを何とかしようとやつてきた。
「伊邪那岐」「伊邪那美」により作られた大八島ケ国の神国(日本)はもともと何もない島国だつたが、動植物をはじめ様々な生命が作られ、そしてそれを治める東西南北の鬼沙門とともに春夏秋冬を定め豊かな国とした。
しかしこの島には善い気とともに悪い気も集まり「五鬼大神」という胴体は一つ、頭が5つある悪鬼神が生まれてきてしまった。
この悪鬼神により神国が滅ばされてしまうことをフジオイクミノ神は心配し悪鬼追討の勇将と呼び名の高い「田中大三四天神徳丸」を呼び寄せて神国へ渡り五鬼大神を討伐するように命じた。四天神徳丸はすぐに神国へ渡り、五鬼大神を激しい戦いの後、討伐した。四天神徳丸は悪鬼の呪いを封じるため、神国の平穏を唱えて去っつていく場面。」
幕上げがあります。法印神楽由来の嵯峨立神楽ですが、南部神楽を踏襲するなかで混交してきたようです。
最初にツケ役が出て、天地開闢の言われと伊弉諾伊弉冊の国産みの話を述べる。
そして、国造りに禍をなすという五鬼大神を討ち取るものはいないかと、神を呼び寄せる。
それに応じた田中大王が荒々しく登場する。
続いて五鬼大神が現れて神戦となるわけだが、
本来の笹結びでは舞台を降りて客席の間や、神社境内を走り回っての戦いを演じますが、この日は神楽大会で時間制限もあるので舞台上のみとなりました。
最後には五鬼大神を退治し、首を取って幕入りとなる。
流れ神楽の本領発揮といった一幕です。
動画でどうぞ。
