達古袋神楽 羽衣 @ 第57回北辰神社神楽大会
さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から達古袋神楽さんで羽衣です。
その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より
「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」
とあります。
現在の代表は小岩恭一さんです。
演目の羽衣は、羽衣伝説に題材をとったものです。
昔話の羽衣では、衣を返してほしいという天女を疑い、漁夫は夫婦になることを強要してなかなか天に返さないのですが、南部神楽の羽衣は能楽の筋立てと同様になっています。
三保の松原に天女が舞い降りて一舞し、羽衣を松の小枝にかけて何処へともなくいなくなります。
そこへ、土地の漁師、白両が通りかかり、松に掛けられた羽衣を見つけて家の宝にと持ち帰ります。
戻ってきた天女が白両に羽衣を返して来れと頼みます。
白両は天女の舞を見せてくれたら返すと約束したので、天女とその側女は扇と鈴で軽やかに舞います。
めでたく話が納まったところで、白両と天女と側女とで崩し舞です。
動画でどうぞ。
