川東神楽 安宅の関 @ 第42回胆江神楽大会
さて本日は、第42回胆江神楽大会から川東神楽さんで 安宅の関です。
その前に川東神楽さんの由来を定本から
「古くは、石畑神楽として組織されていたがその後全く消滅した。
大正一四年、川内神楽の高橋栄助師匠の指導で、御神楽とくづしを習い、更に平泉町戸河内の菅原慶吉、川坂賢三郎の両師匠の指導により、川東神楽を組織し発表会を開催した。
戦後一時中断していたが、昭和四八年先輩達の指導により復活し現在に至っている。
大正一四年頃の庭元は小野寺滑内、戦後は千田信治、現在の庭元は千田精である。」
とありますが、現代の代表は千葉庄司さんです。
演目は弁慶安宅の関です。
笈を背負って登場ですが、装束が大変凝っています。
兄源頼朝により全国に追討令を出され、
〽 これが血を分けた兄弟の仕打ちか
と嘆き、奥州平泉をさして山伏姿に身を変えて落ち延びてゆきます。
加賀国・安宅へさしかかると関守の富樫左衛門泰家の検分にあいます。
関守に義経主従と怪しまれ、疑いを晴らすため、弁慶が東大寺建立の勧進帳を空読みします。
尚も疑いの晴れぬ富樫は弁慶に修験山伏の問をかけます。
いわゆる山伏問答ですが、迫真の長いセリフが続きます。
富樫の家来が、剛力姿をしたもの判官殿によく似たりと進言したため富樫は義経の顔改めをします。
これに危機を覚えた弁慶が、涙を呑んで義経を未熟者めと強打します。
義経主従の正体を見破っていた冨樫が武士の情けで通す場面です。
「天晴れなるぞよ弁慶殿。彼も人なら我も人、我も武士なら彼も武士、情けは人の為ならずとか。
判官殿に縄を掛けるのは易けれど、武士の情けの掛けどころ」
無事に関を通り抜けた義経と弁慶ですが、源氏再興を思いながらも命を落とした家来衆に思いを馳せ、平泉高館へと急ぎます。
動画でどうぞ。
