小田代神楽 水神明神舞 @ 第42回胆江神楽大会
さて本日は、第42回胆江神楽大会から夜神楽最初の演目、小田代神楽さんの水神明神舞です。
昼神楽は神楽殿でしたが、最後の笹森神楽さんの後半から雨が降り出したので、夜神楽は日高神社の社殿内にて行われました。
小田代神楽さんの由来について定本より。
「明治二八年一○月、部落の氏神五十瀬神社に神楽を奉納するため、氏子総代の植田喜作が庭元となり、羽田の鴬沢神楽から師匠を招き指導を受け、小田代神楽を創設した。
初代庭元植田喜作、二代及川春治、三代及川清志四郎、四代~五代及川篤男である。」
とあります。初代の植田喜作が指導を受けたのは菅原金之丞とあるが、金之丞は千葉栄佐衛門とともに瀬台野神楽を立ち上げた人物であり、後年田原の蟹沢に婿入りして蟹沢神楽を創設し、周辺の地域にも神楽指導をした。
そして現在の第六代目庭元は及川章さんです。
さて演目の水神明神舞は東方の国と西方の国の神争いとなっています。
瀬台野神楽系統では明神舞もあり、こちらは大屋比毘古神と大綿津見神の二神の祈祷舞です。
幕出し唄は
〽 さんやー 水神明神なー 水神明神なー 祓いさんよー
東方の神は、明神舞と同じく阿吽の狐面を付けて舞います。
それ故かどうか不明ですが、手次も狐になっています。
話は逸れますが、南部神楽の上演舞台は昔は農家の庭先に稲杭を骨組みにし、床板を敷いた仮設舞台で行うのが通例でした。
この日、隣に座っていた十文字神楽の佐藤さんにお話を伺ったところ「昔は、新築や子の誕生などの祝い事に(神楽が)呼ばれたもんだ。神楽舞台作って縁側から板を渡してやった。そうすっと子供たちが神棚からお幣束持ち出して振り回して真似した。それがロウソクの火ついて火事になったりしたった」ということです。
山伏神楽が廻村して神楽を演ずるのは民家の室内。
雨に祟られましたが、この日の神社の客殿内は、あたかも神楽宿の雰囲気で趣も一入と言った感じでした。
閑話休題
次に白荒面に黒采を付けた西方の神が威嚇して東方の神に迫ります。
双方の住処を巡って、ついには装束を改め神戦となります。
そこへ天照大御神が現れて仲裁します。
〽 各々抜きたる剣を納め、五行和睦千代の御神楽を舞い遊び給え
最後面を外しての崩し舞となっています。
〽 やあえい 調子を揃え歌をごそこえ~
動画でどうぞ。
