摂待七ツ物 @ 第七回三陸海の盆
さて本日は、第七回三陸海の盆のから摂待七ツ物についてです。
由来について
「天正十五年(1587)摂待(現宮古市田老字摂待地区)に二百石を領有していた久慈忠左衛門が、人々の平和と摂待の繁栄を祈願し、小沼神社を創建した。その後、春の祭日(6月15日、現在5月5日)には地元有志が豊作と人々の健康を祈って七つ物を舞い奉納するようになった。
また、大坂冬の陣では、出陣した郷土兵士たちが、戦いの合間に舞いを披露、諸藩の武将の好評を博したとの言い伝えもある。
以後四百年にわたり摂待住民によって保存、伝承され、昭和六十一年田老町無形文化財に指定された。」
この摂待地区も先の大震災では、海に近い下摂待地区において津波により甚大な被害を受け、犠牲者も多数でたという。
2013年は神事のみを行い、摂待七ツ物も一時中断をしたということです。
七ツ物とか七つ踊りと呼ばれる芸能は神楽の一部分で、七種類の採物を持って二人一組になって踊るものです。
岩手県内では大きく二つの系統があり、黒森神楽を緒元とする沿岸部に伝承されているものが岩泉町に6団体、宮古市に4団体ほどあります。(中断中も含めて) また、上斗米神楽を緒元とする二戸市周辺に伝承されているのが二戸市4、葛巻町2、九戸村2、盛岡市1、八幡平市4があるようです。
本来は神楽を行う前に、神楽宿等の庭先に臼を置き、そこで米を搗きながら踊るものですが、黒森、下斗米以外は神楽から独立して七つ採物の踊りに派生したもののようです。
摂待七ツ物では先打ち、ヤッパライ(谷地払い)、薙刀、キギ(杵)、太刀、扇、水くみ(桶かつぎ)となっていますが、水くみは現在は略されているようです。
演目は道具採り、横っぱね、ちらし、鳥居がかり、道具納めとなっています。
道具納めでは、昔は矢持ちがお宮の屋根に向けて「五方の矢」と称して、胴前が歌を掛ける中で矢を射たということです。
一人、道化役のものがついています。
岩手県民俗芸能誌の「田老摂待の七つもん」の中に「道化」についてふれています。
「これはモドキで、(中略)踊り子の真似をしながら踊りの後について歩く。昔は籠とザルを背負い、スリコギを持ってでた」
とあるとおりの姿でこの日は出演し、滑稽な仕草で会場の笑いを誘ったり、観客にチョッカイを出すという道化のお約束を果たしていました。名人芸ですね。
さて、採物の中に杵がありますが、これだけ独立して杵舞としているところもあります。
二戸市や岩手町の七つ物では輪踊りしながら杵だけは他と違う所作で、杵を高く投げ上げて取るという技を見せる部分があります。
これは上斗米神楽で杵舞が独立してあることに起源がありそうです。
この摂待七ツ物は、地元の田老第三小中学校で伝承活動の中で取り組まれていましたが、中学校は統合になったので地元の学校は小学校のみの伝承活動となっているようです。
しかしながら、宮古~久慈にかけての地域では、神楽なども地域を越えて交流して助け合うという形が残っています。
未来に向かって頑張っているなと感じました。
動画でどうぞ。
