門岡念仏剣舞 如意輪寺奉讃 @ 第56回北上みちのく芸能まつり
さて本日は、第56回北上みちのく芸能まつりから、門岡念仏剣舞の如意輪寺奉讃についてです。
天安元年(857年)に極楽寺僧が舞ったとされる行者舞が門岡念仏剣舞になったとされる。
昨日紹介した立花念仏剣舞が極楽寺の北谷に伝承された念仏舞であるのに対し、こちらは西谷の衆によって伝承されてきたものです。
また、文政年間に没した相野田の千葉與四郎を中興の祖としていてるが、その後中断したが昭和35年(1960年)に復活した。
岩手県教育委員会編「岩手の民俗芸能 念仏剣舞編」では「北上市の下門岡念仏剣舞」として掲出されている。
(門岡地区はかつては北上川河畔の下門岡地区と、極楽寺などを包括する山手の上門岡地区に別れていた)
この門岡念仏剣舞は、下手の下門地区に伝わる念仏剣舞であったということである。
「岩手の民俗芸能 念仏剣舞編」編纂の頃は衰退の一途であったが、現在では地元の照岡小学校で伝承活動として同剣舞保存会(司東道雄会長)の会員の手ほどきを受けて伝承活動を続けている。
往時は盆のナヌカビ(旧7月7日)に笠揃いをし、盆の14日に庭元宅での盆棚(精霊棚)への回向から安楽寺墓回向と奉納していたが、現在は盆の13日に庭元での盆棚へ回向をたむける等という
踊り手は鬼面をつけるゼァカケ(采掛)が6人とスボコ(坊主)が1人
鬼の衣装の手首と肘部分に荒縄を結わえているが、これは古い形を残しているもので、他の剣舞でもかつてはこの装束であったらしい。
全体での念仏踊りの後、鬼二人による狂いがはいる。
狂い踊りで地面に置いた二本の金剛杵をスボコ(坊主)が1本ずつ片手で拾い上げ踊るが、これを「シャカ」という。
この時太鼓は神楽拍子に変わる。
門岡の地は鎌倉時代の武将河野通信の終焉の地であり、墓所は現在も稲瀬町水越地区に聖塚として残る。孫にあたる一遍が全国を遊行した様子を描いた絵巻物である「一遍上人絵伝」に、弘安3年(1280年)に祖父の墓で供養を行う様子が描かれていることが、この墓所を発見する手がかりになった。
念仏剣舞の発祥譚もこの一遍と重ねあわせて膾炙されているが、真実の程は不明。
動画でどうぞ。
