立花念仏鬼剣舞 如意輪寺奉讃 @ 第56回北上みちのく芸能まつり
さて本日は、第56回北上みちのく芸能まつりから、祭りで使う梵燈の採火と諸願成就の祈祷をする如意輪寺の護摩法要の様子についてリポートです。
ここは北上市稲瀬地区の山間部にある如意輪寺ですが、この一帯は平安時代前期には沢山の堂宇が立ち並ぶ一大仏教圏でした。その後、衰退はしたものの往時の面影を残す堂宇もあり、密教文化が色濃く残る地域です。
8月5日御前9時から如意輪寺において護摩法要とみちのく芸能まつりで使う梵燈の採火が行われました。
そして、境内において芸能奉讃が行われ、最初に立花念仏鬼剣舞が奉納されました。
由来については、「いわての郷土芸能」「岩手の民俗芸能 念仏踊編」他から
「天安元年(857)陸奥国江刺部の偵岳寺が文徳天皇から極楽寺の号を賜り、次いで同寺護持のため修行法師を下した。この法師たちが五穀豊作の祈願や死者の霊を慰めるため、五大尊の仮面をつけて行者舞をしたのが始まり。承久三年(1221)、前からあった行者舞が、跳人二人で太鼓を打つ今の型に定着。これが極楽寺の僧から、立花の里人にも伝わり踊られるようになった。
里人に踊り継がれた念仏剣舞は、約四百八十年前ころから、平泉の無量光院とも交流を図りながら継承された。剣を持って念仏の歌で舞うので剣舞と称され、現在に至っている。」
また、平泉村誌では衣川剣舞が明応三年(1494)に立花から師を求めて教えを受けたとあるという。がしかし、衣川の方では「高館駄一郎という人がこれを諸方に伝授して、南部立花や盛岡中津川に伝えた」とある。いずれ互いに交流があったということであろうが、舞の内容など双方にはあまり相似点は見られない。
囃子方は鉦と太鼓と笛及びナカアゲと呼ばれる歌掛けがいる。
舞手の鬼は八人。昔は唐団扇とササラがついたが今は略されている。
演目は本舞と所望の舞に分かれていて、本舞は入込から念仏舞以下一通り。
所望の舞は剣舞と曲舞がある。剣舞は八人潜り、二人加護、三人加護、四人加護があり、曲舞には車相、櫓相、かにむくり、膳舞がある。
舞手は最初に太鼓を中心に内向きに立つが、押し剣舞(画面向かって左奥)のみ外を向き、遠念仏がかかると向き直る。
引き念仏、讃と続き、太鼓の曲打ちとなる。
立花念仏剣舞の特徴は鳥毛の平采にあるという。
北上の鬼剣舞はすべて毛采であり、江刺地方の剣舞は鳥毛の立ち采である。このことより羽根子剣舞とも呼ばれている。
最後に一剣舞と押し剣舞の二人が残って阿の舞(剣を上下に切る)と吽の舞(剣を横に受ける)で舞い納めるが、この時次の神歌がかかる。
〽 つるぎふるや つるぎのやまの 隙を通るや八重刃の劔 わけて通るや わけて通らす
また、この後に四楽と称して神楽拍子で一列に刀を振って踊る型があったというが、これは神楽のシンガクのことだという。
動画でどうぞ。
