薬莱神社三輪流神楽 「岩窟入・岩窟開」
さて本日は、薬莱神社三輪流神楽の篝火神楽から岩窟入・岩窟開です。
およそ日本の神楽の最重要テーマは、天照皇大神が天岩戸に籠って世の中が暗くなったところ、神々が図って天照皇大神の気を引いて岩戸を少し開けたところで手力雄命がこれを開き、今の明るい世が出現したという神話の始まりが中心となっている。
演目が始まる前に舞台には岩戸が描かれた屏風が据えられる。
この演目は、前段に天照皇大神が岩屋に閉じこもる場面と、神々がそれを開けんとする後段の場面に分かれている。
この日は通しで上演された。
岩戸入りからですが、またしても三輪流神楽の独創性を見出すことができました。
冒頭に天照皇大神(神楽秘伝鈔では大日孁貴(オオヒルメノムチ)の呼称)が舞い出てきます。
両手には青銅鏡を二面持つ、これは日神月神の象徴としている。
天照皇大神が岩屋戸の根に立って神諷
〽 如何に天児屋根命は御座候やかな
呼ばれて天児屋根命が出る。
天照皇大神が問いかける
〽 神国末世盛りなり よりて耕作を始め給ひと申候、これ如何に候や
天児屋根命がこれに応えて
〽 五穀の種は天作姫が作り給ひて後、種持神と申す女神一人下し給ひて御子を取り養育して・・・
以下を要約すると、この女神は腹の中に五穀の種を持っていると疑った諸神がその腹を割ったが何も出てこず、却ってその女神の体から五穀の種が生じたためこれを取って植えた。(この辺は山伏神楽の五穀舞の筋立てと似ています)
しかしながら、雨が降らず作物実らなかったので天に祈って一首歌った
〽 天の川ないしろみつにせきくだせ
天降りますたみならばかみ
すると雨が降って実ってきたと思ったら素戔嗚尊が来て五穀を害したり、田畑に牛を放って破壊したので、天照皇大神は
怒って天岩戸に篭もることにしたと。
この時の天照皇大神のセリフに三輪流神楽の岩戸入りの特長がよく表れています。
「その儀に候は口惜しく候、自ら大の字の内に一点打ち申すべきかと存じ候」
!!大の字の内に一点とは「太」の字のことであることは明白。つまり神拝に続いてここでも天太玉命が登場する。
天照皇大神が二首詠じて岩戸に入る
〽 皆人は 阿字よりい出て 阿字に入る
阿字こそ元の 住処なりける
色に出ずる草や 紅葉のはてまでも
空よりい出て 空に入るこそ
さて、ここからが岩窟開です。
天宇受賣命が登場するのだが、何と老父母らしき者を連れている。
これこそが天太玉命です。
神拝でもそうでしたが、三輪流神楽では何としてでも天太玉命を引き出す必要性があるらしい。
三輪流神楽の遠祖は秦河勝であるとされるが、秦氏の支族忌部氏はもともと占いを職掌としていて、天太玉命を祖に持つとされることから神楽の中に敢えて組み込んでいるのではと推量されます。(あくまで私見ですが)
天宇受賣命について神楽秘伝鈔には「天宇受賣命は高皇産霊尊の孫、天太玉命の児なり」としているとおり、三人で岩屋戸の前に出てきて一舞します。
そして、天手力雄命が出て岩戸を押し開きますが、この時の神諷が今の南部神楽そのものです。(山谷神楽が三輪流神楽免許皆伝になった経緯もこの辺で解明できそうです)
「應 石の扉も 岩の扉も みな海中に投げ込んで 天岩戸を押し開く」
岩戸を押し開くと中から天照皇大神が出てきます。
天手力雄命が尻久米縄の代わりに五行色の幕を岩屋戸に掛けて、二度と天照皇大神が岩屋戸に篭もらないようにと祈祷します。
最後は天宇受賣命が真榊と鈴を採って舞い納めます。
神楽秘伝鈔にはこのあと七ツ釜の部分もありますが、それは現在は行われていないようです。
動画でどうぞ。
