さんさ踊りの折敷舞
さて本日は、中断していた大槌郷土芸能祭の続きです。
大槌の芸能については既にアップ済みですが、この日は2つの団体が招待されて特別出演しました。
その1つが盛岡市の三本柳さんさ踊り保存会さんです。
由来については当日のパンフレットより
「さんさ踊りは、江戸時代初期の盛岡城下形成の頃から、盛岡市とその周辺で踊られてきました。
文化文政(1804~1830年)の頃、時の盛岡藩十一代藩主南部利敬公の奨励により踊りの基本が改良され、さらに獅子踊りな
ど他の芸能の一部を流用して崩しを新作し、さんさに倣って三十三の踊りに仕上げ、これを見前の三本柳部落に「永久に保
存せよ」と一巻の巻物を授けたと伝えられています。
主に盆の先祖供養に踊り、「踊り連中」一団によつて家回り等を行い伝承してきました。江戸時代から近郷近在に指導してきた歴史があり、さんさ踊りのルーツと云われています。
衣装は蓮華の花をつけた妻折笠、三本の柳を染め抜いた浴衣、廻し、五色の帯、手甲、脚絆、草戦履きの巡礼姿と云われています。踊りは、古体に近いと云われる手(腕)の上下の振りとナンバに踊るのが特徴です。
明治以降の踊り連中の名簿と写真が残つています。現在の組織は、昭和42年に20年振りに復活し現在に至っています。
昭和51年盛岡市指定、平成23年岩手県指定無形民俗文化財。
とあります。
現在の盛岡のさんさ踊りといえば8月初旬のさんさパレードを中心としたイベントが主要な行事となりましたが、元々は各踊り組の地元の盂蘭盆行事で、家々の先祖供養に踊り歩いたのが本来の姿です。
三本柳さんさは、藩政時代から踊り継がれていますが、そもそもさんさ踊り自体が念仏供養と田楽が融合したような芸態ですので、今見るさんさ踊りとは峻別してみなければなりません。
これは同じ盛岡市南部の黒川さんさ踊りと同様に「伝統さんさ」の草分け的存在であるから故かもしれません。
「ナンバ踊り」と称して、右手と右足を同時に前方に出す所作が特長としていますが、これは江戸期以前の日本人普遍の徒歩形態で、庶民の日常感覚を今に残す良例かといえます。
さて折敷舞です。 動画では7分40秒ぐらいから始まります。
これは、さんさ踊りの中入りの余興芸ではあります。
しかしながら、囃子方が早池峰神楽の笛太鼓を奏し始めたのにはビックリしました。
さんさ踊りの笛方が、流暢な山伏神楽の笛を吹き始めました。
隣接芸能とはいえ、囃子方を全くマスターしているようです。
つまり、昔は芸能団体という分け隔てなく、その時々で芸能を踊れるものが踊り、奏楽ができるものが奏でたということなのだろうと思います。
さて、肝心の折敷舞ですが、二人の舞手が見事に披露していました。
今年の盛岡さんさ踊りも間もなく開催されます、今年は8月1日~4日までです。
盛岡市役所をスタートとするパレードも見どころですが、盛岡駅や盛岡城址公園でおこなわれる演舞も見逃せません。
もっとも、盆の先祖供養が主目的なのでそういった場面を見ることができればいいのですが、、これがなかなか難しいのです。
またいつか取材できることがあればアップしたいと思います。
動画でどうぞ。
