鶯沢神楽 小袖曽我 @ 第40回みちのく神楽大会
さて本日は、第40回みちのく神楽大会から鶯沢神楽さんで小袖曽我です。
その前に、鶯沢神楽さんの由来について定本より
「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創設した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者養成講習会を開催した。講師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。
初代庭元玉井豊之助、現在の庭元岸湊は六代目である。」
ということなそうです。現在の代表者は高橋長人さんです。
曽我兄弟の母です。
この演目の出典はもちろん能の四番目物(雑能)の小袖曽我です。
兄の祐成は父の仇の工藤祐経を討とうと決心します。
その前に母親に今生の暇乞いをするため、また、五郎の勘当の許しも得ておこうと、母のもとを訪れます。まず、十郎が案内を求めると、母は喜んで迎え入れ別れに形見として小袖を与えます。
そこへ弟五郎時致も馳せ参じます。
しかし、五郎には出家になれという母の命にそむいたというので怒って二度の勘当を言い渡します。
十郎は弟五郎時致の身の上を不憫に思い刀で手に掛けようとします。
それを見た母は慌てて制止し、二人に切々と教え諭します。
〽 この世の中に 子を持つ親の心は皆同じ
親を思わぬ子はあれど 我が子を思わぬ親はなし
兄弟の心が通じ、母もようやく五郎の勘当を許し、形見に小袖を与えます。
二人は喜びの酒を酌み交わし、共に立って舞い、これが親子最後の対面かと名残もつきませんが、狩場に遅れてはならぬと、母に別れのあいさつをして、勇んで出立します。
動画でどうぞ。
