大森神楽 大森山夕日の場 @ 第40回みちのく神楽大会
さて、本日は第40回みちのく神楽大会から大森神楽さんで夕日の衣川 第三場「 大森山、夕日の場」です。
その前に大森神楽さんの由来について
「大森神楽は昭和45年7月、当時の衣川村立衣川小学校大森分校教諭の佐々木久雄(直木賞作家、三好京三)氏と当時衣川村の教育長で大原神楽の師匠、小坂盛雄氏が中心となり、分校の児童に神楽を伝授したのが始まりである。その後学校教育と関わりあいながら活動し、児童全員に踊り伝えられてきた。平成10年3月に大森分校が閉校になり、保存会としてスタートした」
とあります。現在の代表は佐藤吉訓さんです。
康平5年(1062)に安倍氏一党が厨川の柵にて源頼義ら朝廷軍との最終決戦で破れ、安倍氏の勢力はここで滅んだ。
安倍貞任の妹に由迦前(有加一乃末陪(ありかいちのまえ)とも)という娘がいた。
藤原経清の妻となっていたが、夫経清は厨川の戦で敗けて処刑されたが、その子吏世童子とともに大森の地に逃れてくる場面です。
吏世童子は後に藤原清衡となるわけですが、この役は小学6年生の女の子が演じています。
大変堂々とした科白です。
そこへ、由迦前を戦の恩賞として引き受けに出羽清原武貞の軍兵がやってきます。
これに対峙して吏世童子が軍兵を退けます。
〽 應、汝武貞殿の使いの者なるかや珍しや。我敗軍の将の一子たりといえども、誇り高き安倍一族の血脈を受け継ぎたる吏世童子とは自らなり。汝らごとき雑兵、母上に一指も触るること許しがたし。はやばや立ち去りたまえやのう!
これには母由迦前も感心しますが、ここは安倍氏再興の日までと決意し諭します
〽 心染まらぬ再嫁なれども、御身が武将の器量を育てるため、母は出羽国に赴く所存なり。
必ず母を恨むなよ。
動画でどうぞ。
