宮野神楽 河津三郎祐泰最期の場 @第40回みちのく神楽大会
さて本日は、第40回みちのく神楽大会から宮野神楽さんで河津三郎祐泰最期の場です。
今大会は、40周年記念大会ということで、過去に優勝・準優勝した神楽団体が出演し、賞を決める審査もない上演会形式となっていました。過去の大会成績一覧を見ると、第20回及び30回記念大会も同様だったようです。
みちのく神楽大会のプログラム冊子には、過去の各賞受賞記録が掲載せれていて、各南部神楽団体の変遷も見て取れるので大変参考になります。
閑話休題
宮野神楽さんの由来について
「昭和53年より城生野神楽の熊谷先生の指導の下に技術を取得した会員に新会員を加えて平成9年8月に結成した団体です。」
とあります、現在の代表は佐藤久義さんです。
演目の河津三郎祐泰最期の場は、日本仇討ちの名場面のうちの一つです。
鎌倉頼朝公が富士の裾野の巻狩に出陣した河津三郎祐泰
そこへ工藤左エ門尉祐経に仇敵河津親子を巻狩の帰路に遠矢にて射止めよと指示された家来の近江八幡。
祐泰は赤沢山で待ち伏せしている近江八幡の遠矢に射られました。
通りかかった父祐親が息子の危難を見て敵を追いかけるも逃げられてしまいます。
父祐親・弟祐清に支えられ、手当を受けたが急所を撃ちぬかれたがため、最期の願いとして妻子の養育を頼み行きを引き取ったという場面です。
動画でどうぞ。
