2017.07.12 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

中須賀太神楽と吉里吉里太神楽 @ 大槌町郷土芸能祭

さて本日からは、7月9日に行われました大槌町郷土芸能祭の様子についてです。

昨年までは、2月に大槌町の城山体育館を会場に行われていましたが、今回からは諸般の事情で場所をマストの屋上に移しての開催となりました。
少々規模が縮小された感じはありますが、嵩上げ地に立ち始めた民家の建築風景を眺めながらの郷土芸能鑑賞となり、また意義のあるものになりました。

その中から、今日は二つの太神楽について。

一つ目は中須賀太神楽です。

由来については「大槌町郷土芸能」より

大神楽の権現が製作された年代は正確確には不明ですが、屋号長兵エ屋、菊池長兵エ氏(三代目)の時代、回船間屋を営んでいた頃(推定)1,730年頃に製作され家宝として拝まれておりましたが田中家(八代目|)兵作は大槌代官所の依頼にて奥州盛岡国を代表し豊作祈願として伊勢皇大神宮内宮拝殿において相馬流四本固めの舞を奉納。時に天保14年4月朔日であります。
その後大槌代官所より部落民に時を知らせる太鼓を受け中若組火消鳶連中が主体となって大神楽の組織をつくり江戸時代末期より今日に至っている。
尚、昭和7年、権現二頭を元中須賀の住人、大工棟梁三浦栄太郎氏が製作し現在は三頭権現となっている。」



先の大津波で獅子頭を始め、全ての道具、装束、山車が流失し、伝承しているメンバーも町内外の仮設住宅などに転居しているが、祭りと大神楽には集まって活動しているということです。

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四本固め(四方固め)は神前に奉納する舞で、東西南北の四辺に悪魔がいることを想定して、その悪魔を追い出し、最後に剣をもって切り払い、退治することを現している。

何よりも、大槌の祭りの雰囲気を感じさせる芸能です。

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次は吉里吉里の大神楽です。

由来について

「今から約268年位前の江戸時代、江戸や大阪の大商人と対等にわたりあい、膨大な富を築いた豪商前川善兵衛が交易を盛んにやっていた頃で、一方では交易の主役である造船業も活況を呈していた。当時は木挽き、船大工、鍛冶屋が代表的な職業とされており、腕利きの船大工が仕事の合間に彫刻したという説もあり定かではないが、安政2年(1781年)の二代目前川善兵衛江富永氏の三男前川善右衛門氏が、善兵衛の御抱え業者である「鍛冶屋」現三浦義男宅に獅子頭を寄贈したものだと代々口伝えに語られてきました。また踊りの教え主については特定人物は解りませんが、獅子頭の寄贈年代は浪板大神楽の記録とほぼ一致している事から、近隣の交流によって伝授されたものと推察しています。また「鍛冶屋」の家人からの伝い聞きによれば三浦大吉氏の長男三浦駒吉氏(嘉永3年生)が鍛冶屋で保存していた獅子頭を川原地区(現1丁目)に寄贈し、自ら大神楽の普及(踊りも教えながら集団指導)に奔走したとも伝えられ代々それを受け継ぎ、吉里吉里天照御祖神社の丁印として現在に至っている。」

ということです。

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演目の四本固めは四方固めともいい、門付けした家の庭の東西南北四辺の悪魔を祓う祈祷舞である。
江戸時代に武家屋敷に門付けする際は舞い手以外は裃を着たということです。

舞納めは

〽 やっときた お先は舞いて この後は
   当年中の悪魔祓い その後はオカメ様の一生笑い

IMG_4427.jpg

続いては余興の本甚句です。


IMG_4429.jpg

動画でどうぞ。

■中須賀太神楽



■吉里吉里太神楽

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.07.12 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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