館下神楽 御所の五郎丸陣屋巡りの場 @ 第30回あやめ祭り神楽大会
さて、本日は第30回あやめ祭り神楽大会から館下神楽さんで 御所の五郎丸陣屋巡りの場 です。
その前に館下神楽さんの由来を定本より
「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、現在の庭元曽根英寿は二代目である。」
とあります。館下神楽は築館町の団体で現在の代表者は柳澤良夫さんです。
源頼朝が小大名を集め富士の裾野に於いて巻き狩りを行うとの噂を耳にした曽我兄弟は「時至れり」と母の形見の名刀をたずさえ富士の狩場の陣屋に迫る。時に建久4年5月28日夜半。兄の十郎祐成は22オ、弟時は18オであった。
陣屋は折り悪しく大雨が激しく、警戒も一段と巖Lさを増し、「一の木戸」「二の木戸」は無事に通り越えたが、「二の木戸」は祐経の重臣と宮形八郎重房が警固し通れず、難渋するのである。
兄弟はここで思案の末、弥源次・弥源太と偽名を打って通り越えようとする所に「御所の五郎丸」に見定められるも、これが温情に依り御所の五郎丸の伴廻りに混じりて無事に「二の本戸」を通り越え、最期に小大名幕の紋所を五郎丸殿に教えられる名場面です。
五郎丸が曽我兄弟に陣屋の指南をする場面。巻物がいい雰囲気を出してます。
〽 庵に木瓜紋をよくよく覚えられよ、これこそ工藤祐経のかもんなるぞよ
曽我兄弟がいよいよ陣屋への討ち入りに出陣します
動画でどうぞ。
