川北神楽 曽我物語 養育依頼の場 @ 第30回あやめ祭り神楽大会
さて、本日は第30回あやめ祭り神楽大会から川北神楽さんで曽我物語より「養育依頼の場」です。
その前に川北神楽さんの由来について
「明治16年に、初代庭元佐藤福男が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の佐藤春吉師匠を招き、部落の若者達に神楽の指導を行い、門出神楽を創設した。
大正初期、一迫町長崎高橋長右エ門師匠の指導を得、現在まで休むこともなく継続されて来た。
その後、昭和41年に一迫町民俗芸能無形文化財の指定を受けたことを契機に川北神楽保存会と名を改め現在に至る。」
現在の代表は佐藤勝さんです。
さて、演目の養育依頼の場ですが、全く資料がありません。
初めて観る演目です。
栗原地方の神楽団体では、昭和に入ってからも画期的な新しい神楽台本を競って発表する傾向がありました。
伝統を重視しつつも、観る側にも満足を得られるよう様々な工夫を凝らしてきた経過があります。
川北神楽さんに聞かないとわかりませんが、この台本は栗原地方にはあったものと推察します。
演目内容は、昨日の栗原神楽さんの祐泰最期の場で、我が子の養育を父祐親に頼む程未練が残った祐親。
その妻、満江姫は亡き夫が残した一万丸と箱王丸の二人の子を、元服するまでの間預ける烏帽子親を探します。
ところで、この日一万丸を演じたのは、四歳の男の子です。
舞手としてはこの日が初舞台となりました。(ちなみにパパも同じ舞台で舞いました)
さて、河津三郎祐泰の子、長子一万丸と次男箱王丸の養育を相模の国の曽我太郎祐信に依頼に行く場面です。
満江姫に頼まれて、二人の兄弟を元服まで預かり育てますが、二人が仇討ちを果たした後に養育した責任で連座させられるのではと狼狽しますが許されます。
本当にいい人だったんですね。
で、二人の子を預かって河津三郎祐泰の菩提安堵を祈る曽我太郎祐信でした。
動画でどうぞ。
