川内神楽 婿取り(狂言) @ 第33回江刺神楽大会
さて本日は第33回江刺神楽大会から川内神楽さんで婿取り(狂言) です。
河内神楽さんの由来については「南部神楽系譜調査報告書」誌によると
明治三九年頃伊藤捨七、佐藤善左エ門の一一人が世話人となり、胆沢郡瀬台野神楽より伝承された羽田鴬沢神楽の金野忠三郎、菅原常之助両師匠を招請し、伊藤金蔵、菊地庄左エ門、伊藤喜兵衛、伊藤庄蔵、伊藤千百治、菊地用作等が指導を受けて、川内神楽を創設した。
とある。その後、藤里横瀬、田原原体、東磐井郡興田市之通、玉里和田の各神楽に指導伝授するとともに戦後は和賀、気仙沼鹿折、桑ヶ崎方面の祭典に招かれ出演したと「胆江地方の神楽」で記されている。
川内地区は水沢、江刺、東磐井の分岐点に位置し芸能の通り道であったようだ。(嘉永、安政年間には鹿踊りや剣舞もあったらしい)
さて演目の婿取りは、神楽演目の中でもいわゆる狂言とされるもので、能楽と同様に筋立てのある演目の合間に観客の箸休め的に演じられるものです。 しこうしてこれを南部神楽では道化(ドゲ)とも称しております。
南部神楽発生の由来に、農村の閑居する冬場に、旅芸人や浄瑠璃語り、瞽女、祭文語りなどが廻村したことから始まるとされています。
従って、神楽と称しているものの、その儀式的要素は薄らいでいる。
しかしながら、その一方で、産土の鎮守社祭礼に神楽を奉納しているという儀礼的な側面も今日まで続いています。
さて、道化(南部神楽ではドゲと呼びます)の婿取りです。
ある日、村の旦那様が、オレも一年に一度人のために佳きことをなすべしとて、婚姻の仲立ちを思い立ちます。
そこで、近所の若い娘をもつ旦那殿に婿取りをせぬかと問いかけます。
旦那殿が、よき婿あらば願いますと申し出たので旦那殿は知り合いの若者を娶せようと画策します。
そこへやってきた抜け作の若者。
仲人は抜け作に「おまえに佳き嫁を紹介するからついて来い」と話しかけます
そうして婿の身支度を狂言仕立てで行い、嫁の家に長持ちを背負って乗り込むことになります。
舅殿の家について色々と評定するも、二人の祝言をあげることになり、めでたく結婚します。
しかしながら、婿殿と舅が二人でいると、いろいろと思わぬ障碍が現れます。(こいつは現代も同じだ)
馴染めない段階で、舅と婿殿がお互いに遠慮しつつも主張が噛み合わなくなり、ついには喧嘩ごしとなる、教義的な寓話仕立てとなっています。
動画でどうぞ。
