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2017.06.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

長下田神楽 忠信 兄継信尋ねの場 @ 第13回神楽共演石越大会

さて本日は、第13回神楽共演石越大会から長下田神楽さんで、屋島合戦より 忠信、兄継信尋ねの場です。

その前に、長下田神楽さんの由来について

「明治26年(1893)、岩手県西磐井郡花泉町の上油田神楽の南部神楽師 佐藤和三郎を師匠に招き、五穀豊穣を祈願して「橋向神楽」として創設されましたが、その後、二つに分かれ、昭和24年(1949)池田清治を師匠に「長下田神楽」として継承され、現在に至っています。」

とあります。現在の代表は猪股一雄さんです。

長下田神楽さんは、今でも笛を残していている貴重な団体です。



さて、一の谷合戦の場面ですが、長下田神楽さんでは最初に平家方の武将、王城一の強弓精兵と言われた平教経が登場します。もちろん荒方です。
わっぱの菊王から受け取った管矢にて、源氏の武将佐藤継信を討ち取った、次は判官義経を射つなりと気炎を上げます。

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場面変わって、義経が出て、家来の継信の姿が無いことに気づき、継信の弟忠信に捜すよう命じます。

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その頃佐藤継信は、主君源義経の楯となり、能登守教経の管矢に胸板を撃ち抜かれ、夕暮れの浜辺で倒れ伏します。

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「頃は弥生の三十日の晩、暗さも暗いよ、見て見えず。空に紫雲たなびき星一つだに無し。ここはいずこぞ、皆敵の国」と詠いながら捜す忠信。

はるか砂浜の向こうから兄の呼ぶ声が。

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弟忠信は、兄の末期を悔やみ、兄継信は主君と弟に形見を残すと言い渡す、愁嘆の場面です。

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弟忠信は、兄を背負い、義経の待つ高松の陣屋へと急ぐのでした。

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動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.06.17 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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