達古袋神楽 葛の葉姫子別れの場 @ 第13回神楽共演石越大会
さて本日は、第13回神楽共演石越大会から達古袋神楽で 葛の葉姫子別れの場です。
その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より
「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」
とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。
泉州は住吉の里に住まいをなす、安倍の保名と葛の葉は長々の契りを結び、童子丸をもうけました。
ある日、葛の葉は陽気にうとうとし童子丸に狐の姿を見られ、添われぬ身なればやむな<表の障子に一首の和歌を書き残し、子供の養育を保名に託し童子丸を捨て信田の森に帰るのでした。
障子に書いた別れの一首 「恋しくば 尋ね来てみよ 泉なる 信田が森の うらみ葛の葉」
南部神楽では、この和歌を障子に書く際に、葛の葉が筆を左右の手、逆さ文字や鏡文字、果ては口に筆を咥えて字を書くという曲芸も見せ所となっています。
さて安倍保名が家に帰ると、そこには赤児が一人寝ています。
不審に思って家の中を眺めると障子に一首の歌が書かれていて、その歌を判じた保名は信田が森にと急ぎます。
眠る童子丸を抱えた保名が葛の葉姫を呼ぶと、葛の葉姫は狐の姿で現れます。
保名は、狐の姿ではこの子が驚くであろう、元の姿になってくれと頼みます。
保名が戻ってきてほしいと頼みますが、葛の葉は狐の身であるため添われぬと、我が子への形見に「悟りの玉」を保名に託すのでした。
動画でどうぞ。
