象潟祭典 中橋の車切
さて本日は、秋田県にかほ市象潟町の統一祭典見物から中橋町の囃子屋台です。
中橋の車切と称されるこの風流山車はにかほ市指定無形文化財となっています。
この祭りは、中橋に鎮座する舩着八幡神社の祭礼で、毎年5月第3日曜日に行われているものです。
昨日ブログの熊野神社とは川向に対面していて、海からの関門的な役割を果たしていたのかと思います。
本殿から鳥居までの参道には立砂が置かれています。
神社の伝承によれば、神功皇后が三韓征伐の帰りに時化にあい、象潟の港に漂着した。
その際に由来着御の地には船着八幡、御休息の地には腰掛八幡、遺品の帯石を御神体とする若宮八幡、竜衣の濡れたのを掛けた松の木を記念する袖掛八幡として祀っているとのこと。
その舩着八幡神社の祭典に町内を廻るのが車切と呼ばれる囃子屋台です。
中橋の車切について「秋田民俗芸能アーカイブス」から引用すると
「車切の始まりの年代は不明とされるが、起源としては、昔修験者が山中修行の時に魔物につかれないために奏でたものが発展したといわれ、車切は遮ることだという。中橋の車切は中橋八幡神社の祭礼によるとされるが、塩越総鎮守である熊野神社祭礼も同時におこなわれることから、塩越地区を巡行して演じられている。屋台の運行は大人が引くが演じるひとは子どもとされている。中橋の八幡神社から出て、また神社にもどり納める。車切は単独で屋台を引き回すが、屋台には囃子方と踊り人が乗り、巡行中に各家々の前に屋台正面を向けて演舞される。」
とあります。
確かにこの踊り屋台は一軒一軒に屋台の鼻を向けて囃子と踊りを披露して歩いていました。
殊に趣があるのは、この屋台の曳き廻しです。
小さいながらも10人近い子供たちを乗せた屋台を右に左にと曳き廻すので、梶棒や綱を操る技術が必要と思われますが、それが祭り組の伝承に委ねられているのだろうと思いました。
惜しむらくは、従来は象潟の町中を流して歩いたであろうこの屋台も少子化の影響で中橋地区のみの巡行となってしまったことです。
動画でどうぞ。
