岡谷地神楽 屋島合戦 忠信継信尋ねの場@平泉熊野三社奉納神楽
さて本日は、平泉熊野三社奉納神楽から岡谷地南部神楽さんで屋島合戦より忠信継信尋ねの場です。
その前に岡谷地南部神楽さんの由来について
「明治三二年、工藤清右エ門(東和町嵯峨立から養子に来た人)が庭元兼師匠となり、修験道賀田羽流剣舞神楽を部落の若者達に指導し、岡谷地南部神楽を創設した。
また、大正時代に中田町宝江新井田から師匠を招いて笹流新井田神楽や加茂流舘神楽の芸風も取り入れた。
発足以来、地元の旧県社登米八幡神社の秋季例祭に奉納されてきた。
法印神楽の影響をよく残しており、笹結や宇賀玉等の演目を保持している。
初代庭元工藤清右エ門である。」
とありますが、現在の代表は佐久田和尋さんです。
元暦2年2月、平家を屋島に追い込んだ源氏の大将源義経は、その股肱の臣佐藤継信、忠信兄弟とともに奮戦する場面です。
平家方の猛将平教経が、世に聞こえし強弓に、配下の菊王丸が差し出した管矢をつがえて立ち向かいます。
源平入り乱れての戦闘が終わり、義経が継信の姿が見えないことを案じ、弟忠信に捜索を指示します
忠信は夕闇迫る浜辺に兄を探しに行きます
〽 頃は弥生の晦日の晩 暗さも暗いよ ここは何処ぞ皆敵のくに これよりは兄を尋ねるによって 抜いたる太刀を頼りに兄を尋ねに参るなり
すると、遠くから矢負いの継信が息も絶え絶えに呼びかける。
忠信は手負いの継信に
〽 昔鎌倉権五郎景政という人は、矢傷を受けながら戦場を駆け回って敵兵を討ち散らしたという
情けもないぞよ兄上よ
と励ましますが、すでに深手を負って虫の息
負傷した兄を背負って、弟忠信が主君義経の待つ高松城へと急ぎます
最後に、若手胴取さんが撥車の披露です。
動画でどうぞ。
