本郷神楽 石童丸父を訪ねて高野山に@第47回岩手県南・宮城県北神楽大会
さて本日は、第47回岩手県南・宮城県北神楽大会から本郷神楽さんで石童丸父を訪ねて高野山にです。
その前に、本郷神楽の由来について、阿部正瑩著「南部神楽系譜調査報告書」から
「藤沢本郷には、古くから法印神楽が伝えられて来た。 明治一五年、浜横沢の加藤勇八が、西磐井郡厳美村の三輪流瑞山神楽を学び、保呂羽神楽を創設した。加藤勇八の弟子の佐藤留五郎は神楽に精進し、舞もすばらしく神楽の師匠となった。
大正二年、村社葉山神社の世話係の小野寺馬吉が世話人となり、佐藤留五郎を神楽の師匠として迎え、畠山一男、熊谷八重治、千葉三郎、熊谷新吉等が舞手となり、葉山神社の代々神楽として、本郷神楽が復活された。
本郷神楽は、法印神楽の系統を生かし、サンヤ舞とも言われる山神舞、荒神、水神、明神、流転、天下り、八幡舞の七つの荒舞をも残している。 云々とある。」
ということです。庭元歴代は佐藤留五郎、畠山一男、熊谷八重治、畠山春男、熊谷功、佐藤賢吉となっています。
演目の石童丸は、萱堂聖と呼ばれる高野山の一派が布教や勧進のために伝えた苅萱道心と石童丸の物語です。
謡曲「苅萱」、説教節「かるかや」、浄瑠璃「苅萱桑門筑紫車榮(かるかやどうしんちくしのいえずと)」をはじめ、琵琶語り、浪花節、盆踊りの口説き唄としても語られ、全国的に流布したということです。
話の内容は、九州の刈萱荘に加藤左衛門尉重氏という長者が住んでいたが、ある日、本妻と千里御前という側室の異様な姿を垣間見て、世を儚んで高野山に出家します。
後にその子の石童丸が母千里御前とともに父を訪ねて東国をさして旅に出ます。
石童丸です
母子は高野山の麓に着きますが、高野山は女人禁制のため母千里は山に登ることができず、石童丸ひとりで父を尋ねて高野山に登ります。
そこで一人の僧侶と出会い、父ではありませんかと石童丸が問いますが、苅萱道心は修業の身で親子の名乗りをあげることができないため、心が乱れます。
だが、仏門に捧げたわが身、心を取り直した刈萱は、「汝の父は去年の秋、不浄の風に誘われて今はこの世の人でなし。」と偽り、
父の墓所に石童丸を連れてきます。
石童丸が墓に向かって、苅萱荘に残った姉から託された衣を父の墓にかけようとすると、不思議な事に衣は道心の上に。
上人様こそ父上ではと問いかける石童丸に対して苅萱道心は、父は亡くなったことを母に伝えるように諭して別れます。
動画でどうぞ。
