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2017.04.08 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

和賀大乗神楽 七ツ釜@第17回慶昌寺公演

さて本日は、第17回慶昌寺公演から七ツ釜です。

その前に、和賀大乗神楽さんの由来について

「口伝では、約600年前の正和4年(1315年)に慈覚大師の弟子である玉木明介が京都東山の聖護院の門跡として修験修行し、煤孫に帰郷後に貴徳院を開基。後に権大僧都満開山円光法師が創始した神楽とされ、「貴徳院法印神楽」とも呼ばれていました。
嘉永元年(1848年)に、宮城県遠田郡涌谷箆岳の無夷山箆峯寺(天台宗修験兼帯)から大乗神楽が伝承され、嘉永2年(1849年)に南笹間(現花巻市)の高法院を会場に大乗会を開催しました。3年後の嘉永5年には大乗仏教を基にした加持祈祷の舞として「大乗神楽」と改称され、その後一時中断されていましたが慶応年間に佐藤寅次郎が貴徳院に伝承されていた神楽の復興を願い、妻の父である南笹間の八幡神社別当萬法院(十七世再中興法印)に師事して再興しました。
また、神楽の習練と継承を目指すため、江釣子の自性院や更木の大福院と協力して発展に貢献すると共に、明治8年と33年に合同による大乗会を催行しています。その後自性院は神楽からは離れてしまっています。
煤孫の大乗神楽は佐藤寅次郎より高橋多喜蔵・武田三蔵・三田市太郎・武田博・鈴木秋尾、亀田正樹、現在の鈴木俊逸と続きます。現在では、元朝に煤孫の古舘神社に奉納し、別当の武田家で舞い始め儀礼を行うほか、毎年3月頃に地元の慶昌寺本堂に於いて「慶昌寺公演」を開催しています。大乗神楽全33演目の内、半数以上の演目を所持しています。」

ということで、現在の代表は鈴木俊逸さんです。



ところで、この和賀大乗神楽さんの神楽幕に注目すると和賀大乗神楽の「大乗」の部分は後から縫い付けたもので、元々は「和賀法印神楽」であったことがわかります。
雄勝法印神楽を始め陸前浜の神楽が神式に改められたのは明治5年の修験廃止令以降のことで、それ以前は神仏混淆の神楽でありました。つまり、そうした神式に傾いた神楽とは一線を画すためであったかは存じませんが、箟岳箟峯寺から伝授した神楽一式を頑なに堅守しようとした意気込みが感じらます。その意思が「大乗」の二文字に託されているのでしょう。


IMG_2308.jpg

さて七ツ釜です。
雄勝等の陸前浜の法印神楽でもこの演目は少年たちの入門編ともいえる基本的な舞で、山伏神楽でいえば御神楽にあたるかもしれません。

しかしながら、この七ツ釜は修験道では大事な神々で、神道でいうところの天神七代を表した舞となっています。

冒頭の言い立てでは

〽 やら面白し

 第一の皇子は 国常立尊として天を保ち給う
 第二の皇子は 国挟槌尊として水体を保ち給う
 第三の皇子は 豊茸渟尊として軍を保ち給う
 第四の皇子は 泥土煮、さ土煮尊として和歌を保ち給う
 第五の皇子は 大戸道、大戸辺尊として五穀を保ち給う
 第六の皇子は 面足、吾屋惺根尊として風体を保ち給う
 第七の皇子は 伊弉諾伊弉冊尊として夫婦を保ち給う

IMG_2312.jpg

とて、七つ神々の由来を詳しく説き明かした後に千代の御神楽となります

IMG_2316.jpg

動画でどうぞ。


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.04.08 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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