中野神楽 法童丸、父と対面の場@ 第27回衣川神楽まつり
さて本日は、第27回衣川神楽まつりから招待神楽で、栗原市の中野神楽さんです。
その前に中野神楽さんの由来について定本より
「明治5年、佐竹幸吉が庭元となり岩手県西磐井郡厳美村、三輪流山谷神楽の師匠を招き指導を受け、中野神楽を創設した。
二代、三代とも山谷神楽の師匠の指導を受けた。」
とあります。
現在の代表は六代目の佐竹正義さんです。
右側の鉦摺り3人は三姉弟です。鉦摺りのタイミングもピッタリ!
さて、演目は源平合戦一の谷で熊谷次郎直実に討たれた平敦盛の一子法童丸が法然上人に預けられ、やがて自分の身の上に疑問をもったことから始まります。
自分の父母はどこにいるのかと法童丸に問われて法然上人は母親に会わせることにします。
法童丸の母で平敦盛の妻 玉織姫です。
京の都、加茂の明神下がり松の根本に捨て子にされた法童丸を、その子の父平敦盛の首を討った熊谷次郎直実改め連生坊が拾い上げ養育した経過より、その加茂の明神に行けば法童丸の母に会えるのではと道行く人に呼びかけます。
すると一人の女性が応えます。
子を捨てる時に置いた黄金造りの短剣が目印と我が子と対面する玉織姫です。
母子対面をするも、法童丸に我が父はいずこにと問われ、玉織姫は敦盛の仇はそこな蓮生坊=熊谷次郎直実だと、幣束を投げやって教えます。
産みの父親敦盛を育ての親直実が首を討ったということを知った法童丸は、いかで忠孝を全うすべきと逡巡し、結果直実に刀を向けます。
そこで蓮生坊は法童丸の刃を受けながら、滔々と人の道を説諭します。
かくて、人の道として真の道を進むとともに、亡き父親=敦盛の菩提を弔うことにより己の人生が開けようとの法然上人の教えによって、法童丸は父の墓所へと急ぎます。
父の墓に向かって一心に弔いをする内にうたた寝をしてしまう。
そこへ霊魂となった敦盛が、息子の法童丸に自分は熊谷に討たれたけれどもそれは戦の常であり、熊谷は自分を手厚く弔ってくれたのだから決して親の敵と恨むなと諭して消えます。
あとに残された法童丸は別れを惜しみます。
〽 涙は仏の為ならず 名残惜しくはそうらえども これより我が家をさしてぞ急ぐなり
動画でどうぞ。
