中野神楽 義経、月見坂の受難の場@ 第37回尾松地区神楽鑑賞会
さて、本日は第37回尾松地区神楽鑑賞会から中野神楽さんの義経中尊寺月見坂の受難の場についてです。
その前に中野神楽さんの由来について定本より
「明治5年、佐竹幸吉が庭元となり岩手県西磐井郡厳美村、三輪流山谷神楽の師匠を招き指導を受け、中野神楽を創設した。
二代、三代とも山谷神楽の師匠の指導を受けた。」
とあります。
現在の代表は六代目の佐竹正義さんです。
この日の胴取りは深野さんです。
手前のかわいい鉦摺は佐藤高広さんのお子さんたちですが、三人とも鉦摺りの呼吸がピタリと合ってました。
演目は兄頼朝に追われて、奥州平泉の中尊寺へと逃れて来て、藤原秀衡のもとに身を寄せていたが、その秀衡も亡くなってしまった。ある夜秀衡公の供養をしようと金色堂へ参詣するため月見坂に差し掛かった時に錦戸の上臈に出会うところから始まります。
義経さんです
錦戸の上臈です
ところが、この上臈は頼朝が放った女刺客で、義経を籠絡しようと酒を勧めます。
義経が不覚にも酔いつぶれたところを、上臈が刺し殺そうと刀をふりかざします。
主君の異常に気づいた家来の武蔵坊弁慶が長刀で上臈を追い払います。
弁慶に救われ難を逃れましたが、義経は身の危険を察知して平泉を去る決意をします。
金色堂に参詣し、亡き秀衡に別れを告げて平泉を旅立ちます。
ところで、この演目は能楽「秀衡」を原典としているということです。
能楽「秀衡」は昭和26年(1951年)に喜多流宗家・喜多実師と土岐善麿の構想作詞により創作され、中尊寺能舞台で初演されて以来、春秋の平泉藤原まつりには一山の僧侶によって演じられているということです。
動画でどうぞ。
