加勢祭・そみんぼう神事 鎮守府八幡宮にて
さて本日は立春大吉の日であります。
文字通り、節分の次の日ということで、生活上の一年の始まりということです。
因みにこの立春大吉という護符の文字は、左右対称の目出度い文字で、玄関に貼っておくと、鬼が家の中に入って後ろを振り返った時に同じく立春大吉と見えるため、勘違いして外に出ていくという咒いなそうです。
さて、節分といえば豆まきである。追儺である。
追儺といえば欧州市水沢区鎮座の鎮守府八幡宮に伝わる特殊神事「加勢祭」が、宮中の古態を残した追儺の行事として有名です。
ということで、今日はその加勢祭に行って参りました。
ここは、水沢区の北東部に位置する佐倉河の八幡地区で、鎮守府八幡宮があることからついた地名です。
さてその鎮守府とは、陸奥国に置かれた古代日本における軍政を司る役所で、はじめ多賀城にあったが802年(延暦21年)に坂上田村麻呂が胆沢城を築城し、この時に鎮守府は胆沢城に移された。
その際に、胆沢城の北東に豊前国(大分県)宇佐八幡神の神霊を勧請し、神宮寺の安国寺とともに鎮守府八幡宮と号し東北開拓経営の守護神として八幡宮が造営されたということです。
ここで毎年旧正月の八日に修生会として行われてきた祭りです。
ということで、かつては加勢祭が行われた日から旧正月十四日まで春祈祷として氏子の家毎に巡回祈祷をして護符を配り歩いたということです。
本日賜った品々は
上から護王寶判と言われるもので、弘仁元年(810)に嵯峨天皇より宸筆を賜った。それを後年に慈覚大師が版刻し社に納めたものいう。
下の黒いカラスの絵の護符が「そみんぼう」と呼ばれるもので、これにも慈覚大師による由来があります。
嘉祥3年(850)、鎮守府に来た慈覚大師が、管内が疫を患い、民庶死に尽くすと言われるほどの病災に悩んでいることを知り、八幡宮心経会に、大師所持の疫病除けの護符今これを「そみんぼう・又はカラス」というを捧げ、庶民の苦患を八幡大神に祈りました、ということです。
因みに真ん中に2枚小さなカラス護符がありますが、菅原宮司さんによると氏子の皆さんが常に所持できる護符が欲しいとの要望を受けて、今年初めて配布したというものです。
これなかなかいいアイデアです。このサイズならストラップ等のアクセサリーにも付けられそうです。
さて、加勢祭です。
宮司祝詞の後に拝殿の戸を開け放って、外へ向けて鬼やら疫病やらを威嚇して追い払う神事です。
往古の宮中で行われた追儺の行事では神官を中心として、その両隣に武官が弓と刀を持って鬼を追い払うという神事をおこなっていた。ここ鎮守府八幡宮でもそれに則って1200年来行われてきたのではと宮司が解説されていました。
加勢祭が済むと、再び拝殿に戻り神賑としての権現舞が執り行われます。
ここ八幡宮では八幡権現舞保存会(やわたごんげんまい)が神事に奉斎しています。
権現舞の獅子頭は630年前の八幡宮火災にも焼けることなく残り、火防の獅子頭として信仰をうけ、江戸時代中期になって村中の家々を廻った八幡宮春祈祷に権現舞を舞い火防の祈願をしたと伝えられているそうです。
その後幾度の中断をへて平成14年胆沢城造営1200年記念事業で八幡権現舞保存会が結成され、大償内齊部流鴨沢神楽の指導を受けて現在に至る。
<子どもたちよる下舞>
<権現舞>
ところで、ここ八幡宮には神宝が数々あります。
年に一度この加勢祭にしか拝観できないので、この日も神事が終わった後に氏子さんやカメラマンたちが熱心に見つめていたのがこれです。
坂上田村麻呂が苦難の末に胆沢に鎮守府を開き、更に北方に向けて進軍する際に八幡神に祈願を奉じた証として献納した刀と鏑矢です。
これは刀というよりは剣ですが、直刀で柄の部分には不動明王の梵字(カーン)が刻印されている三鈷柄剣です。
という訳で、数々の謎は残るものの今年も地元のおんちゃんおばちゃんたちが八幡様にお参り出来だっつう話コで和気あいあいだったのが印象的な祭りでした。
直会での風景 八幡(やわた)地区の皆さんの敬虔な信仰心に感服しながら、あんなことやこんなことを話した1日でした。
動画でどうぞ。
