道地ひな子剣舞 七拍子、十七拍子@ 藤根地区郷土芸能踊り初め会
さて本日は、藤根地区郷土芸能踊り初め会から道地ひな子剣舞です。
北上市には大きく分けて3つの形態の剣舞が伝承されています。
一つは、北上川東岸の門岡・立花周辺に伝わる羽根采をつけた阿修羅踊りの剣舞。
もう一つは、岩崎を濫觴とする風流化した念仏剣舞で、明治後半以降に勃興した鬼剣舞。
そして、盛岡周辺の大念仏の要素を持った雛子剣舞です。
この雛子剣舞は、この藤根の道地剣舞と、和賀の煤孫剣舞、それと飯豊雛子剣舞があります。
道地ひな子剣舞は、大正10年に庭元宅火災のため伝書等が消失したが、嘉祥年間に慈覚大師が東北布教の折に伝授したというが確かでないという。
地元稲葉神社境内には文久元年(1861)の念仏供養碑、明治25年(1892)の大念仏供養の碑等が残っており、江戸時代後期には踊られていたと推察される。
道地ひな子剣舞保存会が組織され、平成元年に岩手県無形民俗文化財に指定され、平成28年12月には文化庁jから地域文化功労者としての表彰を受けているということです。
囃子(オカド)は、太鼓、笛、鉦、簓で奏され、踊りは坊子(男子2~4名)と踊り子(女子8~14人)、それと跳ね胴を打つ年長の女子4~6名という構成になっている。
衣装の背中に結付けた四角い布はケサ(袈裟)と呼ばれるもので、手には錫杖と呼ぶ花を付けた唐団扇を持つ。
演目は ①七拍子、②十七拍子、③二十三拍子、④二十七拍子、⑤二十九拍子の五種目で、このうち①②⑤には踊りの後にハネド(太鼓の曲打ち)がつく。
舞の順は、入端、中、引端、坊子踊で、一踊り済むと坊子が周りを踊って終わる。
坊子が手にするのはツボケ(ツチ)で、踊り手は禅僧慧可が断臂(片腕)で修行したことに因んで、必ず左手は使わない仕来りになっているという。
輪踊りが終わると、太鼓の打ち手が大人から少女に代わり、跳ね胴になる。
これはまさに大念仏の廻り胴と同じで、岩手の民俗芸能念仏踊編によれば、「紫波町の赤石田植踊の老師匠は、雛子剣舞の拍子は念仏剣舞(大念仏剣舞)のマワリ胴と同じだといっていた」とあります。
が、胆沢の念仏剣舞でも跳ね胴があり、やはり同じ役割をもっている。
踊りの構成は違っていても、囃子の基調となるものは通底しているといえるかもしれない。
動画でどうぞ。
