雫石神楽 下舞・七五三切り
さて本日は、雫石町無形文化財芸能祭から雫石神楽で下舞・七五三切りです。
雫石神楽は、現在は三社座神社に奉納する神楽ですが、その由来は江戸時代の南学院に遡ります。
岩手県を代表する霊峰岩手山には、その登山口として柳沢口、雫石口、平笠口があり、それぞれに新山堂があり、それぞれの登山口は修験山伏が支配し、護符を発行するとともに、その祈祷神楽を修する神楽組が存在していた。
そのうち雫石口を担っていたのが修験の南学院である。
南学院(現:諏訪)家は雫石上町に屋敷を持ち、45石を領知して、南部藩屈指の山伏木村家(円蔵院)の配下で、獅子舞や神楽を所管していたという。
諏訪家は、岩鷲山禰宜、雫石年行事円蔵院の役僧であり、雫石神楽の座元としても知られている。
ところで早池峰神楽の依拠する早池峰山は古くは東根嶽と言い、それに対して巌鷲山(岩手山)は西根の山ということになり、同じく修験山伏が関与していても本山派と当山派の違いがあり、そのことが神楽にも影響しているようです。
早池峰神楽では、神楽の最後に権現舞があり、その前に下舞がなされます。
雫石神楽では諸神楽が行われた最後に七五三切りが舞うことになり、その前段として下舞がなされます。
錫杖と扇での下舞です。
神楽幕の「明治43年」が歴史の重みを感じさせます。
装束は、吽面に毛采ですが、舞の中で毛采をつまんで威嚇する所作が、いかにも羽黒派神楽というかんじです。
終盤に注連縄を一刀両断するいわゆる「注連縄切り」をします。
縄を切るということは、この刀は真剣であるということです。
貴重な神楽を拝見しました。
動画でどうぞ。
